トロフィーを渡されたとき、九条雅臣は、それを両手で受け取った。
重かった。
金属の重さではなく、別の何かの重さが、あった。
年間グランドスラム。
その言葉がアナウンスされると、スタジアムが立ち上がった。
二万三千人が立ち上がって、拍手を送った。
九条はトロフィーを持ったまま、コートに立っていた。
喜ばなかった。
だが、今日は少し違った。
何かが、胸の奥に、静かにあった。
表彰式が終わり、インタビューが始まった。
「年間グランドスラムを達成した感想を」
九条は少しの間、黙った。
「……実感がない、というのが正直なところです」
「今シーズンを振り返って、特に印象に残っていることは?」
「試合のことは、全部、印象に残っています。すべての相手が、本気で戦ってくれた」
「今日の決勝、マルコ・アラーノ選手について」
「強かった。モンテカルロで当たったときより、強くなっていた。いつか、また戦うことになると思う」
「最後に。今日この結果を、誰かに捧げるとしたら?」
その質問で、九条は少し目を伏せた。
会場が静まった。
「……名前は、言えません」
「名前は言えないが」と九条は続けた。
「今年、ずっと黙っていてくれた人がいます。そのひとの沈黙が、ここまで来られた理由のひとつだったと思う」
会場に、また静けさが広がった。
「このタイトルは、そのひとの沈黙に捧げます」
それ以上は言わなかった。
インタビュアーも、追わなかった。
その夜。
インタビュー映像が世界中に流れた。
「名前は言えない」「そのひとの沈黙に捧げる」というフレーズが、テニス界を越えて広まった。
誰だ、という問いが、ネット上に溢れた。
同じ夜。
一つのタブロイドが、写真を公開した。
写っていたのは、女性だった。
どこかで、九条雅臣のそばにいたことがある、という記事がついていた。
その写真の下に書かれた名前は、綾瀬澪、というものだった。
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