0133.【Madrid Open | Final】Campeón

画面の中で、ルーカス・ヴォルが静かに話していた。

マドリードの準々決勝後の記者会見。勝利の直後に、彼は自分の話をした。今年の精神的な苦しさ、助けを求めたこと、同じ道を走り続けて景色が変わらなくなった感覚。劇的に語ろうとしていなかった。ただ、正確に言葉にしていた。

氷川がタブレットを止めた。

「精神的なコンディションは、今週に入って安定していると見ています。発言の内容と、その後の試合のパフォーマンスが一致している。むしろ調整が終わった状態で決勝に来る可能性が高い」

「つまり」と蓮見が言った。「楽にはならないってことだ」

「はい。精神的に揺さぶれる相手じゃないと思います」

部屋に少し沈黙が落ちた。

志水は何も言わなかった。画面が止まったままのタブレットを、一度だけ見た。神崎が腕を組んでいた。九条の方を、直接は見ていなかった。

「メンタル不調の問題は、この業界には付き纏う」

神崎が、画面を見たまま言った。報告でも警告でもない、所見を述べる声だった。

「ただ、一度心が折れる体験をした者は、意識してバランスをとるようになる。心のしなやかさを身に付けることで、かえって強くなる」

部屋に誰も応じなかった。

蓮見は天井を見ていた。志水はタブレットの画面を見ていた。九条は⸺何も見ていなかった。神崎の言葉を、自分に関係のある情報として受け取っていなかった。

「技術的な分析は」

九条が言った。声は平坦だった。

氷川が切り替えた。配球のデータ、フォアハンドの確率、サービスゲームのパターン。数字が並んだ。九条はそれを見ていた。

蓮見はしばらく黙って天井を見ていたが、やがて口を開いた。

「苦しかったが助けを求めた、と言ってたな」

誰も返事をしなかった。

「心がある状態で来る。崩れない。揺れても、戻ってくる」

蓮見の視線が九条に向いた。

「そういう相手が一番厄介だ」

九条は画面を見たままだった。

「感情で動く選手は読める。今回も同じだ」

「そうか」

蓮見の声に同意の色はなかった。ただそれだけで、それ以上は何も言わなかった。言っても届かないことを、長い時間をかけて知っている声だった。

ミーティングはそのまま続いた。神崎が最後に口を開いた。

「九条」

九条が神崎を見た。

「チェンジコートのたびに、私の方を見ろ。見るだけでいい」

一瞬の間があった。

「必要ない」

「選手への医療的な指示だ」

九条は何も言わなかった。それが了承だった。

部屋が解散に向かう中、画面の中のルーカスの声だけが、まだどこかに残っていた。

⸺また同じ生活に戻ってきましたが、以前とは少し違う気持ちで。苦しい日があってもいい、そう思えるようになった。

九条にとってそれは、理解できない言葉だった。苦しい日があってもいい。その発想の出発点が、どこにあるのか。なぜそれが強さになるのか。参照できるものが、何もなかった。

窓の外に、マドリードの夜景が広がっていた。


五月のマドリードに、夕方の光が斜めに差していた。

ラ・カハ・マヒカの屋根は開いていた。空が見えた。マノロ・サンタナ・スタジアムの満員のスタンドが、コートを四方から囲んでいた。一万二千を超える観客が、選手の入場を待っていた。

アナウンスがスペイン語で流れた。

ヴォルが先にコートに入った。スタンドから手拍子が上がった。陽気で、屈託がない。クレーで実績を積んできた選手への、素直な歓迎だった。

次に九条が入った。

歓声の質が変わった。より大きかった。熱量があった。スタンドのどこかでスペイン語の声が飛んだ。何を言っているか分からなかったが、音の形から好意的なものだということは分かった。カメラのフラッシュがいくつか光った。日本語の声援も聞こえた。遠く、けれど確かに。

九条はそれを聞いていなかった。

コートを踏んだ。赤土が靴の下で鳴った。硬いようで、わずかに沈む。ハードコートとも芝とも違う、クレー特有の感触だった。バウンドの高さが変わる。球足が遅くなる。ラリーが長くなる。すべて計算の中にある。

ウォームアップが始まった。スタンドはまだ騒がしかった。ラリーの合間に笑い声が聞こえた。誰かが何かを叫んだ。スペイン語で。また手拍子が来た。短く、リズミカルに。観客はまだ試合前の祭りの中にいた。

ネット際でコイントスをした。ヴォルが笑みを浮かべた。審判の声がスペイン語で確認を取った。九条は所定の動作をして、自分のベースラインに戻った。

スタンドの音が、少し落ちた。

全員が気づいていた。試合が始まる。

最後の数秒、ラ・カハ・マヒカの空気が引き絞られるような静けさになった。屋根の向こうの青い空と、コートを斜めに照らすオレンジの光と、待っている一万二千の呼吸が、同時に止まった。

九条はボールを二度バウンドさせた。

トスを上げた。


第一セット、九条は組み立てた。

ルーカス・ヴォルは静かだった。声を上げない。感情を出さない。エンソ・バルガスの炎のような激しさはどこにもなかった。ただ、重いボールが返ってきた。深く、正確に、繰り返し。長いラリーになるほど、彼は崩れなかった。読むべきノイズがなかった。怒りもない、焦りもない、揺れもない。九条が積み上げてきた相手の感情を読む技術が、この男には通用しなかった。

ラリーが続くたびに、スタンドが息を飲んだ。

七球、八球、十球。クレーの上でボールが弾むたびに、乾いた音が響いた。ラリーが深くなると、観客の声がゆっくりと高まり、決定打が決まった瞬間に弾けた。「¡Qué punto!」誰かが叫んだ。拍手が来た。長いラリーを、ここの観客はよく知っている。クレーの試合がどういうものかを。

九条はフォアハンドで主導権を取りに行った。ヴォルのバックハンド側を攻め続けた。単純な結論だったが、ヴォルはその単純さに対応してきた。一球ごとに心を整えているのが、遠目でも分かった。乱れない。戻ってくる。

六対四。第一セットは取った。

スタンドから歓声が上がった。九条のサイドに向けて、日本語の声が混じった。九条は聞かなかった。チェンジコートで神崎の方を見た。一瞬だけ。神崎は何も言わなかった。ただ九条の目を、二秒ほど見た。それだけだった。

九条はベンチに戻った。スタンドはまた賑やかになっていた。セットの合間、観客は自由だった。スペイン語が飛び交い、笑い声があり、売店へ向かう人間がいた。試合を離れた時間だった。ここだけが、祭りの空気のままだった。

九条はタオルで顔を拭いた。聞こえていなかった。


第二セット、空の色が変わり始めた。

西の方が金色になっていた。コートに伸びる影が長くなった。ヴォルのフォームが影の中に溶けるような一瞬があった。

五ゲーム目。

チェンジコートの間、スタンドの一角で男が立ち上がるのが見えた。ヴォルの父親だった。コートサイドから何かを伝えた。短い言葉だった。ヴォルは頷いた。それだけだった。

観客がざわめいた。父子のやりとりが、スタンドから見えていた。その構造を、観客の多くが知っていた。ノルウェーから来たコーチは、ずっとあの場所にいた。息子が第二セットに入って、何かを修正しようとしている。スタンドはそれを見て、少し前のめりになった。

次のゲームから、配球が変わった。

九条はそれを感じ取った。フォアへの展開が減った。クロスの角度が変わった。父親が、九条のパターンを読んで息子に伝えた。息子はそれを受け取って、実行した。

九条はラリーの中でその変化を処理しようとした。

処理できた。戦術的には問題なかった。

ただ⸺何かが引っかかった。

引っかかりに名前をつけようとしたとき、名前がなかった。痛くはない。思い出したくはない。もう終わったことだ。関係ない、今は。ここには関係ない。

深く潜ろうとした。何も考えない場所へ。コートだけがある場所へ。いつもそこへ行けた。

潜れなかった。

ヴォルのコートサイドに、父親がいた。試合のたびに、ずっとそこにいる。数字を伝え、角度を修正し、息子の戦い方を知り尽くした人間として、コートの端に座り続けている。九条にはその構造が、どこかで邪魔をした。原因は分からなかった。分からないまま、いつもの深さに届かなかった。

ヴォルがゲームを取るたびに、スタンドから「¡Vamos!」が飛んだ。一人の声が、波のように広がった。ヴォルは笑わなかった。ただ、ベースラインに戻った。心を整えて、次のポイントへ向かった。スタンドの声を、勝利の感触として受け取らなかった。燃料にもしなかった。ただ戦い続けた。その静けさが、観客をかえって引きつけていた。

第二セット、四対六。

取られた。

スタンドが大きく沸いた。ヴォルのサイドへ向けて、歓声が来た。試合がフルセットになる、という興奮だった。陽気で、容赦がなかった。

スタンドで、蓮見が腕を組み直した。隣で氷川が何か言った。蓮見は答えなかった。

神崎はチェンジコートの三秒間、九条の横顔を見た。汗が出ていた。呼吸が、普段より少し速かった。目の焦点は定まっている。まだここにいる。ただ⸺いつもと何かが違う。医師として数値化できない何かが、見えていた。

神崎は何も言わなかった。言える場所にいなかった。


第三セット、照明が入り始めた。

夕陽が建物の向こうに落ちていた。空の上の方はまだ青かったが、コートには人工の光が広がり始めた。赤土の色が、夕方とは違う質感になった。照明の白い光の中で、クレーの赤が濃くなった。コートと観客席の境界が、不明瞭になった。一万二千の人間が、暗くなりかけたスタンドの中でコートを見ていた。

九条はもう一度、深さへ向かおうとした。

届かなかった。

ヴォルが一ポイントごとに心を整えて来る。崩れない。戻ってくる。存在し続ける。その均質さが、逆に引力になった。振り払いたかった。振り払えなかった。相手の穏やかさが、九条の内側にある何かを浮き上がらせた。浮き上がったものが何かは分からなかった。ただ、邪魔だった。

体が重かった。

息が乱れた。フォアハンドを打つたびに、肺が働いているのが分かった。太腿が重かった。肩が熱かった。普段のフローの中では感じない感覚だった。体があった。疲れていた。それでも動いた。

スタンドは試合に引き込まれていた。ラリーが長くなると、観客の声が止まった。完全な静寂ではない。息をしている。待っている。ボールが弾くたびに、その緊張が僅かに揺れた。誰かがポイントを取るたびに、また声が戻ってきた。スペイン語と英語と、どこかの言語が混ざって、スタジアムの空気になった。

ゲームが続いた。

五対四。サービングフォーザマッチ。

スタンドが静かになった。

売店に向かっていた人間が戻ってきていた。立っていた人間が座った。マドリードの夜の空気の中で、一万二千の人間が同じ方向を向いていた。

ファーストサービスが入った。

ヴォルがリターンした。深かった。ラリーになった。九条はフォアで回り込んだ。打った。ヴォルが追いついた。また返ってきた。

長いラリーだった。

観客の声が消えた。音が、ボールの打音と靴が土を踏む音だけになった。それ以外は何もなかった。一万二千の人間が息を止めていた。

どこかで、ヴォルが一瞬だけ目線をスタンドに向けた。コンマ一秒にも満たない動作だった。九条にはそれが見えた。

何かが、そこにある。

九条はその思考を切った。次のボールに集中した。

ヴォルのバックハンドがサイドラインの外に出た。

一瞬の間があった。

スタンドが爆発した。

スペイン語の声が重なり、手拍子が来て、どこかから口笛が鳴った。日本語の声援が届いた。歓声の波がコートを包んだ。照明の下の赤土が、その音の中にあった。

試合が終わった。


スタンドで神崎が息を吐いた。

隣で蓮見が立ち上がらずにいた。歓声の中で、しばらくそのままだった。

「生きてるな」

蓮見が言った。誰に向けた言葉でもなかった。勝ったことへの言葉でもなかった。

神崎は答えなかった。コートを見ていた。

ネット際で、ヴォルが九条に手を差し出していた。


ネット際まで歩いた。

足が重かった。高地の空気が薄かった。肺の中に酸素が足りない感覚が、試合が終わっても続いていた。

ヴォルも同じだった。ウェアが汗で濡れていた。首筋に光が当たって、疲労が体の表面に出ていた。それでも、歩き方が乱れていなかった。顔が、穏やかだった。穏やかというより⸺落ち着いていた。やるべきことをやった人間の顔をしていた。

手を差し出した。

九条はそれを握った。

ヴォルが九条を見た。負けた選手の目ではなかった。戦い終えた人間の目だった。

「Well played.」

それから一拍置いて、

「Take care of yourself.」

九条は言葉を受け取った。意味は分かった。受け取り方が分からなかった。

ヴォルはまだ手を握っていた。離すつもりがなかった。

「No one wins alone. Not forever.」

静かな、確認するような声だった。忠告でも皮肉でもなかった。ただそういう人間だから、そう言う。それだけのことだった。

九条は何も言わなかった。

言葉がなかったのではなく、返す必要を感じなかった。この言葉が自分に向けられたものだとは、受け取っていなかった。

ヴォルが手を離した。踵を返した。スタンドの方へ歩いていった。観客の声の中で、父親が降りてくるのが見えた。二人の距離が縮まった。父親がヴォルの肩に手を置いた。ヴォルは何かを言った。父親が短く笑った。

九条は自分の右手を、一度だけ見た。


セレモニーが始まった。

大会関係者が並んだ。スペイン語のスピーチが流れた。トロフィーが運ばれてきた。九条は指定された位置に立った。手順があった。九条はその手順を、正確にこなした。

トロフィーを受け取った。

持ち上げた。

その瞬間、コートの四方から銀色のテープが発射された。

何千本という細い帯が、夜の照明を受けながら空中に広がった。コートを、スタンドを、空気ごと埋め尽くすように降ってきた。風もないのに流れた。光を反射して、きらきらと、静かに、大量に、四方八方から落ちてきた。

スタンドが沸いた。

カメラのフラッシュが一斉に光った。数え切れないほどの光が、同時に来た。

九条はトロフィーを掲げたまま、動かなかった。

銀のテープが黒い髪に落ちた。肩に積もった。足元の赤土に降り積もった。照明の白と、テープの銀と、土の赤と、九条の黒が、マドリードの夜の中に並んでいた。

笑わなかった。

笑い方が分からないのではなかった。笑う理由が見当たらなかった。胸の中に何もなかった。嬉しくはなかった。誇らしくもなかった。ただトロフィーの重さがあった。冷たかった。金属の冷たさが手のひらにあった。それだけだった。

カメラが九条を捉えていた。世界中に配信されている映像の中で、銀のテープに包まれた選手が、無表情のままトロフィーを掲げていた。

実況ブースで、解説者が口を開いた。

「⸺感情を表に出さない選手ですね。彼は非常にシャイで、内向的な性格だと言われています。こういう場での喜びの表現が苦手なのかもしれない。ただ、この写真は美しい。黒髪に銀のテープ、マドリードの夜の赤土⸺」

フォローの言葉だった。

間違っていなかった。ただ、正解でもなかった。

九条にはそれが聞こえなかった。聞こえていても、訂正する気にはならなかった。シャイでも内向的でもなかったが、本当のことを言う場所ではなかった。本当のことを言える言葉も、なかった。

何も落ちてこなかった。

銀のテープが止まなかった。まだ降ってきた。胸の中は静かだった。嬉しくはなかった。悔しくもなかった。ただ、終わった。それだけだった。


インタビューを終えた。

フラッシュが光る場所を出て、廊下を歩いた。チームが揃っていた。神崎が隣についた。蓮見は少し後ろにいた。誰も何も言わなかった。

ロッカールームの扉が閉まった。

神崎が正面に立った。

「こっちを見ろ」

九条は神崎を見た。神崎が九条の目を確認した。左、右、正面。指を立てて動かした。視線が追えているか、焦点が合っているか。早瀬が横から腕に触れた。脈を取るような触れ方ではなかった。ただ、反応を確かめていた。

「問題ない」

九条が言った。

「私が判断する」

神崎は短く答えた。もう一度、九条の目を見た。数秒、黙って見た。それから頷いた。

「今夜は問題ない」

早瀬が手を離した。志水が膝の状態を確認し始めた。いつもの手順だった。いつもの触れ方だった。ただ、今日は少し時間をかけていた。九条はそれに気づいたが、何も言わなかった。

「インタビュー、何を話しましたか」

氷川が手元のメモを見ながら聞いた。確認ではなく、念のための照合だった。

九条は少し間を置いた。

「覚えていない」

部屋が静かになった。

「内容は問題なかったです」と氷川が言った。「チームへの感謝、次のローマへの意気込み。当たり障りなく話されていました」

そうか、と九条は思った。喋ったらしかった。当たり障りのないことを。何かを言ったという自覚はあったが、何を言ったかは残っていなかった。口が動いて、言葉が出て、カメラが捉えて、それで終わった。

志水がテーピングを外した。早瀬が左膝の可動域を確かめた。どこかが痛むわけではなかった。ただ重かった。

九条は天井を見た。

フローに入れなかった。

それだけが、引っかかっていた。インタビューが記憶にないことよりも、ヴォルに言われた言葉よりも、今夜の試合で最後まで深さに届かなかったことが、胸の中にあった。第二セットの途中から、潜ろうとして潜れなかった。原因は分からなかった。戦術的には処理した。勝った。だが、あの感覚のままローマに行くのは、違う。

「第二セット以降、フローに入れていなかった」

九条が言った。報告するような声だった。

蓮見が椅子に座ったまま九条を見た。何も言わなかった。

「原因の分析を明日やる」

九条が続けた。

蓮見はしばらく黙っていた。

「今夜は寝ろ」

それだけ言った。分析の否定ではなかった。今夜ではないということだった。


チームが出ていった後、一人になった。

椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。体が重かった。肺がまだ薄い空気を覚えていた。汗が冷えていた。

夜になっていた。

屋根の開いたコートから、空が見えていたことを思い出した。マドリードの空は街の光で少し白んでいた。星は見えなかった。

ヴォルの言葉が、どこかで残っていた。

⸺No one wins alone. Not forever.

九条はそれをもう一度、頭の中で聞いた。

人は一人で勝ち続けられるほど、強くない。

納得していなかった。

言葉の意味は分かる。実例も分かる。ヴォルにとってそれが真実なのも、否定する根拠はない。ただ、それが自分に当てはまるとは思わなかった。思えなかった。

弱くなれば負ける。負ければ、何も残らない。その等式は、九条の中でずっと揺らいでいない。

それなら俺は、人でなくていい。

本心から、そう思った。強がりではなかった。諦めでも自棄でもなかった。それが正しい結論だと、今も信じていた。

ただ⸺信じながら、ヴォルの言葉がまだそこにあった。処理を拒んでいるわけではない。反論も用意していない。ただ、消えなかった。引っかかりに形がなかった。

次はローマだ、と九条は思った。一週間後。また赤土。そこを越えた先に、全仏がある。最もきつい山場。二週間。五セット制。赤土の上で、今年の全てが問われる。最も孤独の中で、最も長い忍耐が試される。ヴォルの言葉の答えは、そこで出す。コートの上でしか、九条には答えを出す方法がなかった。

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URB製作室

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