0179|全米オープン 優勝後

トロフィーを渡されたとき、九条雅臣は、それを両手で受け取った。

重かった。

金属の重さではなく、別の何かの重さが、あった。

年間グランドスラム。

その言葉がアナウンスされると、スタジアムが立ち上がった。

二万三千人が立ち上がって、拍手を送った。

九条はトロフィーを持ったまま、コートに立っていた。

喜ばなかった。

だが、今日は少し違った。

何かが、胸の奥に、静かにあった。

表彰式が終わり、インタビューが始まった。

「年間グランドスラムを達成した感想を」

九条は少しの間、黙った。

「……実感がない、というのが正直なところです」

「今シーズンを振り返って、特に印象に残っていることは?」

「試合のことは、全部、印象に残っています。すべての相手が、本気で戦ってくれた」

「今日の決勝、マルコ・アラーノ選手について」

「強かった。モンテカルロで当たったときより、強くなっていた。いつか、また戦うことになると思う」

「最後に。今日この結果を、誰かに捧げるとしたら?」

その質問で、九条は少し目を伏せた。

会場が静まった。

「……名前は、言えません」

「名前は言えないが」と九条は続けた。

「今年、ずっと黙っていてくれた人がいます。そのひとの沈黙が、ここまで来られた理由のひとつだったと思う」

会場に、また静けさが広がった。

「このタイトルは、そのひとの沈黙に捧げます」

それ以上は言わなかった。

インタビュアーも、追わなかった。

その夜。

インタビュー映像が世界中に流れた。

「名前は言えない」「そのひとの沈黙に捧げる」というフレーズが、テニス界を越えて広まった。

誰だ、という問いが、ネット上に溢れた。

同じ夜。

一つのタブロイドが、写真を公開した。

写っていたのは、女性だった。

どこかで、九条雅臣のそばにいたことがある、という記事がついていた。

その写真の下に書かれた名前は、綾瀬澪、というものだった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

URB製作室

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。