〈6月30日・センターコート〉
芝が、静かに軋む。
立ち上がる白い球筋。
その速さに、観客席がわずかにざわめいた。
九条雅臣。
世界ランキング1位。
しかし、今大会、彼に向けられる期待は、どこか不安を孕んでいた。
――全仏決勝の、異変。
彼は、本当に戻ってきたのか。
そんな疑いを、
彼は一球で打ち消した。
サーブ。
ボレー。
リターン。
すべてが、無駄なく、鋭い。
芝に沈むような低いバウンドに、
相手は何度も足を取られた。
九条は、淡々と、
正確に、
相手の意図を殺していく。
まるで――
名前のない怪物のように。
第1セット、6-2。
第2セット、6-1。
第3セット、6-0。
スコアボードが示す数字は、
ただの記録ではない。
「王者はここにいる」
――それを、静かに世界に刻みつける証だった。
試合後、
九条はラケットをそっとコートに置き、
帽子を被らず、
まっすぐ観客席を見上げた。
そこに、
探すべき人影はまだない。
だが、
彼の心は揺れなかった。
声にも、言葉にもならない、
静かな祈りだけが、
胸の奥にあった。
「どこかで、見ていてくれ。」
その願いすら、
自覚しないままに。
九条は静かに、コートを後にした。
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