0159.【Roland Garros】となりにいる

〈6月10日・午前〉

九条がリハビリに向かった後、
澪はホテルの部屋に戻った。

白いシーツ。
静かな空気。

何もしないのは、落ち着かなかった。

気づいたら、MacBookを開いていた。

Palmaのフォローアップ。
返信待ちのクライアント。
Gdańskの工場からの仕様確認。

「メールだけ」のつもりだった。

気づいたら、一時間が経っていた。

澪は、ゆっくりと画面を閉じた。

(……何やってるんだろう、私。)

窓の外、パリの空が静かだった。

〈午後・リハビリ〉

補助歩行器を両手で支えながら、
九条は前へ進んだ。

一歩。

また一歩。

脚が、ふらつく。

止まらなかった。

数メートル先で、
九条は静かに立ち止まった。

澪が、タオルとストロー付きの水を差し出した。

九条は、ストローに口をつけた。

「……うまい。」

小さな、言葉だった。

澪には、
その言葉の重さがわかった。

ふわりと、笑い返した。

〈夜・澪〉

カードキーをかざして扉を開けると、
中は驚くほど静かだった。

白いシーツ。
艶のある木目の家具。
丸窓を思わせる、小さな鏡。

ベッドサイドのランプを灯すと、
部屋は柔らかな琥珀色に包まれた。

澪はスニーカーを脱いで、
ベッドの縁に腰を下ろした。

Apple Watchを外して、サイドテーブルに置く。

深く、息を吸った。

天井を見ると、
プールの水の揺らぎが、かすかに映っていた。

(……隣の部屋に、九条がいる。)

おやすみなさい。

声にならない声で言って、
澪は静かに眠りへ落ちていった。

〈夜・九条〉

すぐには眠れなかった。

天井に反射するプールの光が、
遠い波のように揺れている。

呼吸を整えながら、目を閉じた。

耳に届くのは、
自分の呼吸の音だけ。

そして——

壁の向こうから、
気配のようなものが届く。

澪の、存在。

声は聞こえない。
姿も見えない。

けれど、確かにいる。

九条は、
誰にも見せることのない、
微かな微笑みを浮かべた。

ほんの一瞬。
すぐに消えた。

けれど、それでよかった。

静かに、静かに。

九条は、夜の深いところへ沈んでいった。

プールの水面は、まだどこかで揺れている。

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URB製作室

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