〈十五日目〉
担当医が告げた。
「CK値、正常域に入りました」
正常域。
百二十倍から、十五日。
九条は、その数字を一度だけ見て、
立ち上がった。
〈十七日目〉
緑の、匂いがした。
芝の、あの匂いが。
ここはロンドンではない。
フランスの練習施設の、室内コート。
でも、芝は芝だった。
九条は、コートに足を踏み入れた。
靴底から、感触が伝わってくる。
(……ここだ)
テニスを始めた場所ではない。
でも、テニスを続けてきた感覚が、
ここにある。
脚が、感覚を思い出している。
〈十八日目〉
ボールが来た。
九条は、ラケットを振った。
久しぶりの、衝撃。
腕が、震えた。
でも——ボールは、コートに落ちた。
芝の上に、ちゃんと。
もう一球。
また一球。
九条は、ただ打ち続けた。
〈十九日目・午後〉
白い診察室の中。
担当医が、採血の結果を机に置いた。
「CK値——正常域、維持しています」
「腎機能も、問題ない」
「私の仕事は、ここまでです」
隣に座ったスポーツドクターが、
昨日のラリーの映像を閉じた。
「ウィンブルドン出場、許可します」
そして、静かに付け加えた。
「……正直、ここまで回復するとは
思っていなかった」
九条は、何も言わなかった。
スポーツドクターが続けた。
「途中棄権しても、誰もお前を責めない。
自分を守るために、
”降りる”選択肢も忘れるな」
九条は、
その言葉を黙って受け取った。
だが、心の中では——
(降りない)
(最後まで、やる)
医師たちが、席を立った。
部屋に残された九条は、
ゆっくりと拳を握りしめた。
未来は、まだ、ここにある。
(続く)
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