0158.【Roland Garros】未来は、まだここにある

〈十五日目〉

担当医が告げた。

「CK値、正常域に入りました」

正常域。

百二十倍から、十五日。

九条は、その数字を一度だけ見て、
立ち上がった。

〈十七日目〉

緑の、匂いがした。

芝の、あの匂いが。

ここはロンドンではない。
フランスの練習施設の、室内コート。

でも、芝は芝だった。

九条は、コートに足を踏み入れた。

靴底から、感触が伝わってくる。

(……ここだ)

テニスを始めた場所ではない。
でも、テニスを続けてきた感覚が、
ここにある。

脚が、感覚を思い出している。

〈十八日目〉

ボールが来た。

九条は、ラケットを振った。

久しぶりの、衝撃。

腕が、震えた。

でも——ボールは、コートに落ちた。

芝の上に、ちゃんと。

もう一球。

また一球。

九条は、ただ打ち続けた。

〈十九日目・午後〉

白い診察室の中。

担当医が、採血の結果を机に置いた。

「CK値——正常域、維持しています」
「腎機能も、問題ない」

「私の仕事は、ここまでです」

隣に座ったスポーツドクターが、
昨日のラリーの映像を閉じた。

「ウィンブルドン出場、許可します」

そして、静かに付け加えた。

「……正直、ここまで回復するとは
 思っていなかった」

九条は、何も言わなかった。

スポーツドクターが続けた。

「途中棄権しても、誰もお前を責めない。
 自分を守るために、
 ”降りる”選択肢も忘れるな」

九条は、
その言葉を黙って受け取った。

だが、心の中では——

(降りない)

(最後まで、やる)

医師たちが、席を立った。

部屋に残された九条は、
ゆっくりと拳を握りしめた。

未来は、まだ、ここにある。

(続く)

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URB製作室

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