7.【Australian Open 2025】1st round , 2nd set「無響室の王」

“無”の時間

ベンチに腰を下ろした九条雅臣は、タオルを取ることすらしなかった。

冷却も、補給も、排除するように。

まるで“次”が始まるのを、既に知っていたかのように。

その眼差しは、何も見ていない。

だが、何もかもを見ていた。

観客のざわめき、実況の声、会場に流れるBGM、

——全てがノイズとして遮断されていく。

代わりに、彼の中にだけ鳴っていた。

無音の起動音

リスタートではない。

再開ですらない。

あれは、次の構造へのシフトだった。

前のセットを「勝った」のではなく、

ただ「終えた」だけ。

そして次の支配が、すでに始まっている。

#チーム九条 / オーストラリア2025
蓮見 09:04 AM
タオル、取らなかったな。
身体も、試合も、まだ途切れてない。
志水 09:04 AM
筋出力、落ちてません。
酸素消費のリズムも乱れなし。
レオン 09:04 AM
体内水分量、問題なし。
このまま2セット目、ノンストップで行けます。
氷川 09:04 AM
あれ、もう試合中って扱いですね。
休憩、という概念がない。
※Slackは試合中、音声入力+生体認識連動で自動記録モード。チームメンバーは視線を九条から外さず入力中。

【第7ゲーム】無響室の王

センターラインを挟んだ向こう側で、相手がサーブを構えた。

だが、その気配すら、遠い。まるで防音ガラスの向こうに立っているかのように──何も、届いてこない。

九条雅臣の視界からは、観客の顔も、揺れる看板も、主審の白いシャツさえも消えていた。

残っているのは、計算済みの軌道と、対応すべき選択肢だけ

1球目。

ラケットが音を立てたはずなのに、聞こえなかった。

返す。踏み込む。沈むように打ち込む。

音はない。ただ、スコアボードが更新されたのが視界の端でわかる。

(15−0)

次。

相手が息を呑んだ。ほんの一瞬、サーブのフォームが乱れる。

その刹那、九条は右足の重心をずらした。打点は読み通り、バックの外。

ラリーすら成立しない。即、得点。

(30−0)

スタンドはざわついていた。だが、それは“向こう側の世界”のことだ。

このコートの中に音は存在しない。ここは、王の無響室

ラストポイント。

九条はネット際に出た。フェイクだ。

相手が焦ってロブを上げた瞬間、彼は一歩も動かず、トスの落下点を凝視した。

予測などいらない。そこにしか来ないと、最初から知っていた

乾いたボール音が、ようやく耳に届く。だがそれは、ゲームが終わったあとの残響だった。

ーGAME KUJO

【第8ゲーム】「精度の狂い」

ボールが、思ったよりも、半歩分だけ外れた。

ほんの数センチ。

ほんの数フレームの、遅延。

だが九条雅臣にとって、それは“誤差”ではなかった。

“狂い”だった。

──何かが、変わった。

空間の密度が、わずかに違う。

湿度か、風か、あるいは照明の明度。

だがどれも“要因”にはならない。

次のサーブ。相手は確実に、流れの変化を嗅ぎ取っていた。

(スライスだ)

読みは合っていた。だが、スイートスポットの感覚がズレる。

数ミリ、芯を外した打球が、わずかに浅く跳ねた。

(15−0)

その瞬間、スコアより先に、九条の中で何かが“点滅”する。

──違和感。

初めての“揺らぎ”。

すぐに修正に入る。姿勢、体重移動、筋出力のバランスを切り替え。

だが、彼の中のどこかが告げていた。

(これは、コートの問題じゃない)

(──俺自身に、何かある)

一球、また一球と処理する中で、彼は密かに“内部確認”に入っていた。

#チーム九条 / オーストラリア2025
蓮見 11:24 AM
……今の一球、なんか遅かった?
反応、0.2秒くらい。
志水 11:24 AM
生体データ上は正常です。
指令伝達に乱れはない。
……ただ、入力が“今”じゃなかった。
レオン 11:25 AM
……“先”に行ってた?
体はここにあるのに、思考だけ未来。
氷川 11:25 AM
……今を、置いていった。
あの人、もう“次”のゲームの出口まで見えてる。
※Slackは試合中、音声入力+生体認識連動で自動記録モード。チームメンバーは視線を九条から外さず入力中。

九条は、表情一つ変えず、サーブを構える。

身体が「原因」を特定するより先に──

彼は、次の“修正構造”を始動していた。

【第9ゲーム】起動音なき再起動

立ち上がる九条雅臣に、どこにも「再開」の気配はなかった。

彼は、さっきまでの試合をまるごと切り離すように、別の構造体として起動する。

それは、再始動でもなければ、修正でもない。

起動音すら鳴らない、新たな支配のプログラム。

彼の視界には、コードのように展開される“可能性の網”が広がっていた。

一手先ではなく、三手先。

五手先ではなく、“相手がそこで選び得ない選択肢”すら計算に含まれていく。

ファーストサーブ。相手はまた読みづらいスイングを見せた。

だが、今の九条にはそれすら**「記号」**でしかなかった。

フォームの崩れ、グリップの深さ、足の重心。

──これは、クロスの深いボールではない。浮く。打点が遅い。

カウンター、鋭角。音はない。

(15−0)

次のポイント。相手が手元を見た。迷いのサイン。

九条は、トスが上がる前に既にポジションを変えていた。相手のサーブは、そこへ導かれるように飛ぶ。

バックでブロックし、前に出る。詰める。

相手のボールが浅くなった瞬間、彼のラケットは一度だけ空を切った──

フェイクだ。

相手が動いたその逆を、正確に撃ち抜く。

(30−0)

スタンドがどよめいた。けれど、それは彼の“外”の音。

九条は、もうこのコートの中にすらいなかった。

彼は、自分の中にある「構造」を走らせているだけだった

ラストポイント。

相手はネット際に走り込む。イレギュラーなプレーだ。

だがそれすら、プログラム内の“例外処理”として処理されていく。

ロブ。相手の頭上を抜く。返すか? 否、打点が高すぎる。

跳ね返る音は、また無音。

(GAME KUJO)

九条は振り返らない。

ベンチにも座らない。タオルにも手を伸ばさない。

もう、冷却はいらなかった。

#チーム九条 / オーストラリア2025
志水 11:28 AM
神経反射、若干上がってます。
でも筋出力は一定。……何か、演算だけが先に走ってる
蓮見 11:29 AM
プログラム動いてるのに、処理音がしないって感じ。
あいつ、どこまで行く気だ
レオン 11:29 AM
外から見たら変化ゼロ。でも、数値は全部“次元上がってる”。
……これ、まだ試合中だよな?
氷川 11:30 AM
……違うかも。
この人だけ、今もう次の試合始めてるのかもしれない。
※Slackは試合中、音声入力+生体認識連動で自動記録モード。チームメンバーは視線を九条から外さず入力中。

【第10ゲーム】静音圧縮

──音のない制圧

コートに音がなかった。

いや、“音を置き去りにした”と表現すべきかもしれない。

九条雅臣の動きに、無駄は一つもなかった。

スプリットステップの着地音すら、砂塵の中に沈んでいた。

──それが怖かった。

打球音、歓声、ラケットの軋み。

通常ならそれが“試合の気配”を構成する。

だが、今、相手の耳に届いていたのは、自分の息の音だけだった。

静かすぎる。

沈黙が、全方向から圧をかけてくる。

1ポイント目。

九条はただスライスで返した。浅く、そして低く。

相手が一歩踏み出した瞬間、もう逆サイドに球はあった。

(15−0)

視線を逸らした一瞬の迷いが、ラリーを終わらせた。

2ポイント目。

今度はラリーになった──かに見えた。

だが、テンポが一定だったのは最初の3球だけ。

そのあとは変則。呼吸と歩幅とストロークのリズムが、全部ズラされる。

身体が“演奏不能”になった。

(30−0)

観客は拍手も忘れていた。

というより、どこで拍手を入れればいいのかすら、わからなくなっていた。

ラスト。

ネットを狙ってきた相手に、九条は動かない。

全てが止まったかのような間。

その後、相手のラケットからスピンの利いた球が放たれた──が、それも九条の予測の内だった。

左足を軸に、背面に回り込むようにしてカウンター。

静かすぎて、球が抜けたあとのネットの揺れだけが、視界に残った。

(GAME KUJO)

沈黙のまま、スコアがひとつ増える。

音のないまま、空気がひとつ潰される。

この試合において、“制圧”とは騒音ではなく、

静けさの中に潜む演算の密度だと、誰もが思い知らされた。

#チーム九条 / オーストラリア2025
氷川 11:32 AM
観客、息止めてるみたいですね。
……酸素、減ってないよな?(冗談)
志水 11:32 AM
いや、これ“音を抑える”プレー入ってますね。
一種のノイズコントロールです。本人、完全に意図してる。
レオン 11:33 AM
観客も実況も沈黙してるけど……
それ、**あいつにとっては“成功条件”**だよ。
蓮見 11:34 AM
……静かすぎて怖い、って?
俺たちはもう慣れたよ。**これが、九条雅臣。**
※Slackは試合中、音声入力+生体認識連動で自動記録モード。チームメンバーは視線を九条から外さず入力中。

【第11ゲーム】無音のコマンド

—1ポイントずつ、淡々と。

九条雅臣は、何も喋らなかった。

喉すら動かない。まばたきすら、ない。

けれど、“命令”だけが発されていた。

それは言葉ではなく、

動きでもなく、

ただの、“結果”。

ポイントごとに、淡々とスコアが更新されていく。

まるで、あらかじめ用意されたコマンドを

トレースしているかのように。


(15−0)

鋭く切り裂くようなクロス。

相手の読みの逆。だが、それは“読み負け”ではない。

初めからそうなるように設計された一手。


(30−0)

サーブ後、動かなかった。

相手が勝手にミスした。

九条の“静止”が、圧となって先に動かせた。


(40−0)

ドロップショット。予想外のように見えたが、

そう思わされた時点で、もう“操作”は完了していた。


(GAME KUJO)

すべてが完了した時、

ようやく彼のまばたきが落ちた。

その一瞬、彼の中で何かが「更新」されたように

周囲の空気が、ほんのわずか震えた。

でもそれを感じ取れる者は、

このコート上に、もう誰もいなかった。

【第12ゲーム】無響室の王、止まらず

第12ゲーム。

開始直後、相手の打球はネットに触れてわずかに軌道を変え、ライン際に落ちた。

九条は動かなかった。

拾わなかったのではない。切り捨てたのだ。

得点は相手についたが、空間の空気は揺れなかった。

スコアは進んでも、支配は揺るがない。

この時点で、それを正確に理解していたのは、コートに立つ二人と、チーム九条だけだった。

#チーム九条 / オーストラリア2025
蓮見 11:35 AM
……今の、拾わなかったな。
動けば届いた。でも、動かないほうが正しい
志水 11:35 AM
心拍、微動だにせず。
……意図的に1ポイント譲った
レオン 11:35 AM
数字で見ると、**その前後の精度が逆に跳ね上がってる**。
……準備運動、終わったか。
※Slackは試合中、音声入力+生体認識連動で自動記録モード。チームメンバーは視線を九条から外さず入力中。

—セットポイントから決着へ。

スタンドがざわめいている。

だが、その音は届かない。

──ここは、王の無響室

九条雅臣が、最後のサーブに入る。

動きは、なめらか。

呼吸は、整っている。

気配は、──ない。

(40−15)セットポイント。

観客も、対戦相手も、そしてカメラ越しの誰もが、

「これが最後のポイントになる」と感じていた。

だが九条は、その空気すら遮断していた。

それは、あまりに自然で、

あまりに機械的な一打だった。

フォームに無駄がなく、

振り抜きに迷いがなく、

そして──音がなかった。

ネットを越えた瞬間、ボールは地面に吸い込まれるように沈み、

相手はただ、棒立ちになった。

第2セット 6 – 0 九条雅臣

無音のまま、1セット目が終わった。

握られた拳もなければ、

叫びもなかった。

ただ、スコアボードが数字を更新しただけ。

観客の拍手が少し遅れて波のように広がり、

そのざわめきの向こうで、

彼の眼差しだけが“まだ次”を見ていた。

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URB製作室

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