G19|それでも、勝ちたかった(Game Werell 0–1)
(今年こそは、って思ってた)
セバスチャン・ヴェレルの中に、
冷たい現実と熱い願望が同居していた。
ここまで、1セットも奪えていない。
流れも、空気も、全てが九条雅臣のものだった。
それでも――
(せめて、“良い試合”にしたかった)
0–0。
最初のサーブは強めに叩いた。
身体の芯から振り抜くことで、“自分がまだここにいる”ことを証明するように。
15–0。
観客が、はっとする。
その音、その力、その意志が、空気を裂いたから。
(このまま、終わるわけにはいかない)
30–0。
今度は変化球。
打点を下げて、軌道で崩す。
九条が一歩動いた。その“動き”だけで、ヴェレルは少しだけ息を取り戻した。
„Ich wollte es… wirklich.“
(俺は、ほんとに勝ちたかった)
40–15。
次のポイント、九条のリターンが鋭く返ってくる。
それでもヴェレルは諦めない。
正面から受けて、打ち返す。
足を止めない。
腕を緩めない。
ラリーの末に、九条の返球がわずかにサイドラインを割った。
Game, Werell.
拍手が起きた。
敗者にではなく、“闘う者”に向けた拍手だった。
ヴェレルは呼吸を整える。
頭を下げない。視線を落とさない。
(……もう、結果は分かってる。
でも、それでも、打つんだ)
G20|静かな再起動(Game Kujo 1–1)
セバスチャン・ヴェレルは、
先ほどのゲームを取ったことで、わずかに観客の空気を変えた。
だが、九条雅臣の内側には何ひとつ動きがなかった。
0–0。
九条のサーブは、ほんの少しだけ角度がついていた。
それは“戦術”ではなく――再起動の合図のようだった。
ヴェレルは食らいつく。
体勢を崩しながらも、必死でボールを返す。
だが、九条はただ、そこに“いる”。
15–0、30–0。
ラリーは成立している。
球も走っている。
でも、空間に“熱”がない。
(これは……心を削る)
九条の打球は、叫ばない。
主張しない。
ただ、“存在を更新する”だけで済ませてくる。
„Das ist keine Reaktion. Das ist nichts.“
(これは反応じゃない。“無”だ)
30–15。
ヴェレルが1ポイントを取る。
観客がまた、少しだけ拍手を送る。
だがその直後、
九条は何もなかったかのように淡々と次を打つ。
40–15。
最後の1球は、正確すぎるコースでラインギリギリ。
ヴェレルのラケットが空を切る。
Game, Kujo.
そしてまた、点が揃った。1–1。
ヴェレルは、自分が動いていた時間を思い返す。
だが――九条は一度も“動いた”ようには見えなかった。
(……気持ちで押し切るには、
この人は、遠すぎる)
3rd Set|G21:最期の反逆(Game Werell 2–1)
(このまま、終わってたまるか)
セバスチャン・ヴェレルの目が、わずかに熱を帯びていた。
それは怒りでも、苛立ちでもない。
ただ――“勝ちたい”という、最後の芯だった。
0–0。
1stサーブ、強打。
読まれていると知りながら、正面突破で押す。
15–0。
九条がわずかに体をひねった。
初めて、彼のフォームに**“動きの跡”**が残る。
(効いてる。いまだけは、追い越せる)
30–0。
ラリーは激しかった。
でも、ヴェレルは恐れなかった。
判断じゃない。反射じゃない。信念で打っていた。
30–15。
九条に1本返されても、下を向かない。
目の奥には、静かな叫びがあった。
(勝てないとしても、
“この一点”は奪う)
40–15。
観客が息を呑む。
コートの両端に響く足音が、“生きた意志”の音になっていた。
„Ich will’s. Nur dieses eine Mal.“
(今だけは、俺が欲しい)
ラスト1球。
ヴェレルの放ったフラットサーブが、ライン上をかすめて入った。
Game, Werell.
場内がわっと沸いた。
試合はまだ、九条が支配している。
だが、この瞬間だけは違った。
誰もが、
「今の1ゲームだけは、彼のものだった」と感じた。
3rd Set|G22:無音の処理(Game Kujo 2–2)
歓声がまだ残っていた。
ヴェレルの“反逆”が、確かに観客の胸を打った。
だが、九条雅臣は――その空気に、一切影響を受けなかった。
0–0。
最初のサーブは、角度も回転も控えめ。
力強さはない。だが、絶対に触れない場所に落ちた。
(空気を読まない。じゃない。存在しない)
15–0、30–0。
観客の反応が止まっていく。
何かが起きたわけではない。
ただ、“何も起きない”ことが確実すぎるのだ。
„Er hört nicht. Er denkt nicht. Er reagiert nicht.“
(彼は聞かない。考えない。反応しない)
30–15。
ヴェレルがまた1本をもぎ取る。
だが、それは意志で取った1本ではなく、**構造の綻びによる“隙間”**だった。
九条の表情に変化はない。
手順通りにラリーを続け、タイミングを合わせ、淡々と仕留める。
40–15。
最後は、バウンドが低く、速く滑るスライス。
ヴェレルがスライディング気味に足を伸ばすが、届かない。
Game, Kujo.
スコア、2–2。
反撃の“熱”は、完全に吸収された。
観客の拍手も止んでいた。
さっきの熱が幻だったかのように。
(この人には……意思じゃ、届かない)
3rd Set|G23:それでも足を止めない(Game Werell 3–2)
(届かない。それでも――)
セバスチャン・ヴェレルは、
もう“勝てる”とは思っていなかった。
それでも、このゲームを諦める理由にはならなかった。
0–0。
サーブは、力強くも美しくはなかった。
だが、“投げていない”球だった。
九条は打ち返す。淡々と。無音のまま。
だが、ヴェレルの足は止まらない。
15–0、30–0。
自分が奪ったポイントに、歓声が重なる。
それが“勝ち”には結びつかないとしても、届いた反応だった。
(まだ、戦ってる)
30–15。
九条がひとつ返してくる。
それでもヴェレルは乱れない。
„Ich habe nichts mehr. Aber ich höre nicht auf.“
(もう何も残っていない。でも、俺は止まらない)
40–15。
ネットプレーに出る。
大胆さではなく、**“納得するための選択”**だった。
九条は静かにスピンをかけてくる。
だが、ヴェレルはそれを読んでいた。
跳ねた瞬間、ラケットを差し出して角度で押し込む。
Game, Werell.
3–2。
スコアが意味することは、もはや“勝利への一歩”ではなかった。
だが――闘い続ける者の姿として、それは確かに刻まれた。
観客の拍手が、静かに、だがはっきりと広がっていく。
(そうだ。
“届かない”のは、分かってる。
でも、それでも――打つんだ)
“維持”というより“突破”に向けて動いてる。
……あれ、“意志で動いてる”ぞ。
“気持ち”が身体に出てる。こういうの、久々に見た。
“人間”を見てる空気になってきてる。
G24|冷たい光、終息のサイン(Game Kujo 3–3)
歓声がまだ残っていた。
けれど、その余韻に九条雅臣は応えない。
彼の中には、“応答する”という概念が存在しない。
0–0。
サーブを打つ姿に、力はない。
だが、打球は完璧だった。
構造も、速度も、回転も、完了していた。
15–0、30–0。
ヴェレルが走る。滑る。食らいつく。
だが、球筋の冷たさに“意志”が跳ね返されていく。
„Das ist kein Spiel mehr. Es ist eine Funktion.“
(これはもう“試合”ではない。ただの“処理”だ)
30–15。
わずかに揺れる――ように見えた。
だが、九条はそこすら設計済みだったように修正してくる。
40–15。
ラリーの末、ヴェレルのボールがネットにかかる。
力が抜けたわけじゃない。
意志もあった。熱も込めた。
それでも――
“冷たい光”に射抜かれていた。
Game, Kujo.
スコア、3–3。
だが、観客はもう**“セットの残り”ではなく、“試合の終点”を意識している。**
コートの上には、静かすぎる光と、
ひとつの意思を完結させる者の背中があった。
G25|The End: 無音の対話(Game Kujo 4–3)
(……届かないのは、知ってる)
セバスチャン・ヴェレルの呼吸は荒れていなかった。
感情も、焦りも、怒りもない。
そこにあったのはただ――**“向き合い続けるという意志”**だった。
0–0。
九条のサーブ。
それはもはや“開始”ではない。
終了のための起動音のようなものだった。
ラリーが始まる。
ヴェレルは、すべてを使って応じた。
タイミング、角度、スタンス、配球――
人間ができる限りの戦術で。
15–0、15–15。
九条もまた、何も加えなかった。
ただ“存在のまま”ラリーに参加していた。
(会話にならなくても、
それでも、“言葉”を投げることはできる)
30–15、40–15。
ヴェレルの球は、最後まで精度を失わなかった。
だが、九条の返球は**“解答”のように正確だった。**
どこにも誤差がなかった。
どこにも――感情が、なかった。
„Ich weiß, dass du mich nicht hörst.“
(お前に聞こえなくてもいい)
„Aber ich habe trotzdem gesprochen.“
(それでも、俺は話しかけた)
最後の1球。
ヴェレルが打ったボールを、九条は強くも優しくもなく――ただ、終わらせるように返した。
Game, Kujo.
4–3。
観客席では、誰かが静かに息をついた。
そして、もうひとりが拍手を始める。
その音に意味はなかった。ただ、目撃していた者の反応だった。
3rd Set|G26:最後の一点まで、全力で(Game Werell 4–4)
(ここまでだと、思われている)
セバスチャン・ヴェレルは知っていた。
スコアも、空気も、流れも――すべてが九条雅臣に傾いている。
だが、それでも彼は足を止めなかった。
0–0。
サーブは、わずかに甘かった。
それでも、返球された球に対して、最短で脚が動いた。
15–0。
その一歩に、観客の一部が小さく息を呑む。
場内に残る“諦めの空気”を、意志だけで引き裂くように。
(この1ゲームを、取りたい。
勝つためじゃない。終わらせないために。)
30–15。
打点をずらす。
時間を削る。
球の重さで押す。
だが、九条は変わらない。
処理を止めない。
意思表示をしない。
„Ich verliere vielleicht. Aber nicht jetzt.“
(負けるかもしれない。でも、それは今じゃない)
40–30。
もう一本。
この一本で、やっとスコアが並ぶ。
そのときだった。
「Am Ball bleiben!!(諦めずに頑張れ!)」
スタンド上段から、ドイツ語で飛んだ叫び声。
観客の中年男性が、拳を握って叫んでいた。
その声に、数人の拍手が重なる。
それは勝者にではなく――“投げなかった者”への拍手だった。
ヴェレルは、最後のサーブをトスに乗せる。
(届け。届かなくても、構わない。
でも、これは俺の一球だ。)
サーブが入った。
九条のラケットが動く。
ラリーは続かない。
1本で仕留めた。
Game, Werell.
スコア、4–4。
ヴェレルは少しだけ俯く。
だが――笑ってはいなかった。
それは、最後まで崩れなかった者の、
無言の尊厳だった。
G27|処理再開、静かに突き放す(Game Kujo 5–4)
(……でも、まだ届くかもしれない)
観客の中に、
まだ何かを信じている者たちがいた。
0–0。
ヴェレルのラリーは正確だった。
疲れていないわけじゃない。
でも、“やり切っている”という軸だけはブレていなかった。
だが九条雅臣は、
このセットを「終えるため」に動き始めていた。
15–0。
低く、速く、無駄のない球。
そのフォームには、意思も表情もなく、ただ**“終了への最短手順”**だけがある。
(もう“構造の優位”ですらない……)
30–0。
ヴェレルが読んだコースに、九条の球は来た。
だが、打点に入る前に手を出す気が失せるほど、完成されていた。
„Kein Risiko. Kein Druck. Kein Fehler.“
(リスクも、圧も、誤差もない)
30–15。
ヴェレルが1本を返すと、
客席から女性の声が飛ぶ。
「Du schaffst das!(君ならできる!)」
その声は震えていた。
祈りにも似た励ましだった。
40–15(Game Point)。
観客の視線が交差する。
まだ誰も席を立たない。
皆が、「あと1球」ではなく、「あと1回の証明」を見ていた。
九条はラリーを続けない。
終わらせる一撃を、正確に打つ。
Game, Kujo.
スコア、5–4。
だが――
歓声も、拍手も、すぐには起きなかった。
その静けさは、**「彼が勝った」ではなく、「彼が正しかった」**という事実への、飲み込めなさだった。
G28|処理完了、終わりの姿(Game Kujo 6–4 / Match Kujo)
(これが、最後になる)
セバスチャン・ヴェレルは、
コートに立つ自分の影を見つめた。
それは“敗北”を示してはいなかった。
ただ、「ここまで来た」という証明だけが、足元にあった。
0–0。
九条雅臣は、迷いなくサーブを打つ。
観客も、ヴェレル自身も、その球が“始まり”ではなく“完了”の一部であることを知っていた。
15–0、30–0。
ヴェレルは走った。追いついた。
だが、返した球に“可能性”はなかった。
九条は、それを確認すらせず、終了処理として打ち返す。
30–15。
1本取った。
それだけで、拍手が起きた。
意味のない1点ではなかった。
“壊れていない”という事実だった。
„Lass dich nicht unterkriegen.“
(くじけるなよ)
スタンド中段から、男の声が飛ぶ。
それに反応するように、数人が立ち上がり――
「Viel Erfolg!」
「Du hast gekämpft!(よく戦った!)」
応援の言葉は、九条には届かない。
でも、それでよかった。
今、ここに立っている者は、もう勝ち負けの先にいる。
40–15(Match Point)。
最後のラリー。
ヴェレルは、全力で打った。
それでも届かないと知っていて――打った。
九条が返した球が、
ネットに触れず、ラインを割らず、
完璧な速度と角度で吸い込まれる。
観客は拍手を送る。
だがそれは勝者への栄光ではなく――
最後まで闘った者たちへの敬意だった。
セバスチャン・ヴェレルは、
視線を落とさず、
ラケットを強く握ったまま、
コートの中央に歩み寄る。
そして、無言で九条と握手を交わした。
„Das war kein Spiegelbild.“
(あれは鏡像なんかじゃなかった)
【インタビュー:コート上/準決勝直後】
試合が終わったあと、
九条雅臣はいつものようにタオルを取って、静かにベンチへ戻った。
だが――
そのまま帰らなかった。
会場がどよめく。
「喋らない男」が、マイクの前に立った。
司会者は英語で、少しだけ驚きと敬意を滲ませながら問いかける。
司会者(英語)
「Congratulations, Masatomi.
Straight sets, a brilliant performance.
Would you share a few words about the match?」
九条は、少しだけ視線を客席に向け、静かにマイクを持った。
九条(英語)
「I didn’t feel.
I didn’t think.
I just… finished what I started.」
「何も感じていなかった。
何も考えていなかった。
ただ……始めたことを、終わらせただけだ。」
一瞬の沈黙。
会場はまだ、言葉の続きを待っていた。
司会者
「And your opponent today, Werell… any thoughts?」
九条は答えなかった。
ただ、わずかに呼吸を整えてから、短く、はっきりと言った。
九条
「He tried.
To reach something.
And I think…
That’s not something you ignore.」
「彼は、挑んできた。
何かに届こうとしていた。
そして俺は思う――
それは、見過ごすべきものじゃない。」
客席が拍手に包まれる。
まるでその言葉が、今なおネット越しに届こうとしているヴェレルに向けられたかのように。
筋負荷・心拍ともに処理完了の数値です。
全力出してるのに、身体が整ってる。
……でも、“喋った”のは、届いたってことだろ。
“戦った二人”を、ちゃんと見てる。
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