16.【Australian Open 2025】Round of 16, 1st Set “歓声の向こうに立つ者 / The One Beyond the Crowd”

開演

John Cain Arena – 19:01

ナイトセッションが始まった。

空はすでに沈み、人工の光がコートを照らしている。

だが、ここはロッド・レーバーでも、マーガレット・コートでもない。

——これは、“The People’s Court”。

観客の誰もが声を持ち、意思を持ち、感情を叫びに変えていい場所。

地元選手の登場が近づくにつれて、アリーナ全体の空気は明確に熱を帯びていった。

「Let’s goooo!!」

「Show them what you got!」

「C’mon! This is your house!」

叫びが、光の粒子を揺らす。

拍手が、スコアボードの上で跳ね返る。

観客席とコートの間にあるはずの“距離”は、ここには存在しない。

そこにあるのは、歓声そのものがコートに降ってくる感覚だった。

アナウンスが入る。

“Please welcome— from Australia… TAYLOR RIVERS!!”

爆発的な歓声。

観客が立ち上がる。

スタンドの一角から紙吹雪のようなフラッグが舞い上がった。

テイラー・リバースは、笑った。

両手を広げて応えながら、コートの中心へ向かって歩く。

“ここ”は彼のホームだ。

声を吸って、感情を燃やして、闘う男。

その姿はまさに、感情の申し子だった。

——そして、

“From Japan… MASATOMI KUJO.”

アリーナが、一瞬だけ沈黙した。

すぐに拍手が起きた。だが、それは熱ではなく、礼儀だった。

彼の登場に対して誰も立ち上がらない。

スマホを掲げる者もいない。

入場してきた九条雅臣は、

ただ歩いていた。

それは「登場」ではなかった。

ただ、“指定された座標に到達しようとしている演算体”だった。

視線はまっすぐ。

歩幅は変わらず。

肩の位置も、手の揺れも、ユニフォームの裾すらも、何一つ乱れない。

場内の叫び声は、彼の横をすり抜けていく。

歓声は、まるで彼の“外側”を流れているだけのようだった。

——音は、もう届いていない。

光も、熱も、“視界の外”だった。

ジョン・ケイン・アリーナに響いているのは、

彼にとっては**“処理すべき外乱ノイズ”**にすぎない。

あらゆる情報は、フィルタにかけられ、

“演算対象外”として廃棄されていく。

だからこそ、彼の動きは乱れない。

揺れない。

濁らない。

彼にとって、観客席に感情は存在しない。

——そこにあるのは、ただの「環境」だった。

コート中央に立った九条は、

ラケットを構え、ネットを挟んだ相手を一瞥する。

応援が爆発する。

テイラーが手を振った。

だが、その波は、

九条に届く前に——吸収された。

【第1ゲーム】声援と静寂の交差点

コイントスを終え、サーブを選んだのはテイラー・リバースだった。

彼の選択に、会場は歓声で応える。

ジョン・ケイン・アリーナのナイトセッション。

観客席は、戦いが始まることに飢えていた。

「Let’s go!」

「Show him, Taylor!」

地鳴りのような拍手。

床に響くリズム。

声はすでに、音ではなく感情の渦だった。

九条雅臣は、ベースラインに立つ。

ラケットを握った手に、力はこもっていない。

左足を軽く後ろに引き、わずかに重心を下げる。

その動きに**“構える”という意識はなかった**。

すべては、“予測済みの処理”にすぎない。

1ポイント目。

テイラーのサーブは、ワイドへ鋭く放たれた。

力強い。会場が沸く。

だが、そのコースは、すでに入力済みだった。

九条は、動かない。

振り返らず、無言でラケットを差し出す。

リターンは直線。

観客の目の前で、

完璧すぎる軌道がラインギリギリを突いた。

——0–15

テイラーの表情がわずかに揺れる。

だが、すぐに笑って、ラケットを握り直した。

観客席から、再び叫び声。

「Shake it off! You got this!」

その声を背に、

彼はもう一度、ボールをバウンドさせる。

2ポイント目。

今度はセンターへ。

角度を変え、スピードも増した。

——しかし、九条はまばたきひとつせずに動いた。

一歩、半歩。

それだけでリターンの体勢が整う。

スピンに飲まれることなく、逆方向へ返す。

観客の歓声が、呼吸に変わった。

——0–30

3ポイント目。

テイラーがラケットを振りかぶるたびに、

観客席から叫び声が起こる。

「C’mon!」

「Right here!!」

だが、九条の耳には、届いていない。

音は、ただの振動。

意味を持たないノイズ。

サーブ。

リターン。

返球はわずかに浮いたが、九条はすでに前へ出ていた。

ショートアングル。

ネット際。

打球音が空間を切る。

——0–40

ゲームポイント。

テイラーがトスを上げたその時。

観客の中で、誰かが咳をした。

——だが、九条は、1ミリも揺れなかった。

ラケットを振る。

リターンが吸い込まれるようにライン際へ。

テイラー、追いすがるが届かない。

Game Kujo. 0–1

観客が熱くなるほど、彼は静かになる。

歓声が高まるほど、彼の足音は聞こえなくなる。

——開演。

この夜、声の壁の向こう側に立っていたのは、演算者だった。

【第2ゲーム】デシベルに反応しない男

#チーム九条 / オーストラリア2025
蓮見 7:08 PM
観客、声出しすぎ。
会場の温度と九条の体温、まったく一致してない。
志水 7:08 PM
呼吸の乱れなし。
ノイズは全部“外部入力”として処理されてる。
※Slackはスマートグラス経由の音声入力で送信されています。

“Kujo to serve.”

審判のコールが響いた瞬間、

場内の雰囲気がほんの少し変わった。

——この無口な男が、今度は「打つ側」に回る。

そのことに、観客は無意識に緊張した。

テイラーの応援団が先に声を上げた。

「Break him! Let’s go Taylor!」

スタンドの一角から、地元の旗が揺れる。

その熱を、九条はまるで感じていないように見えた。

目の焦点すら、観客を通り抜けていた。

1ポイント目。

トス。

打点。

回転。

軌道。

全てが、“演算済みの処理”だった。

センターライン際、低く、速く。

ノータッチエース。

——15–0

拍手が起きる。だが、歓声はない。

——違う。

**「歓声を出すタイミングがなかった」**のだ。

2ポイント目。

今度は少し外側へ、スライス気味のサーブ。

テイラー、反応はした。

だがラケットはわずかに遅れ、当たり損ねたボールがネットにかかる。

——30–0

観客の中にいた一人が、思わずつぶやいた。

“He’s not rushing… but he’s faster.”

(急いでないのに、速い)

3ポイント目。

九条は静かに、再びトスを上げた。

——その瞬間。

観客席で、スマホの通知音が鳴った。

わずかな振動音。

誰かが慌てて音を止める。

だが、九条の動きに何の影響もなかった。

サーブは、ボディを突く軌道。

テイラー、詰まった。

返球は浅く浮く。

九条は迷わず、前へ出た。

——ネット際で叩き込む。

——40–0

ゲームポイント。

観客が息を潜める。

誰も声を上げない。

「何をしても、彼は動じない」

その事実が、沈黙という名前の敬意に変わりつつあった。

最後の1本。

サーブは、角度のない直線。

テイラーのリターンがかすった瞬間、

それはすでに——終わっていた。

Game Kujo. 0–2

歓声の中で、

彼だけが、“音に反応しない存在”だった。

デシベルの上昇が、彼の支配を揺るがすことはなかった。

【第3ゲーム】テンション vs 処理速度

会場の空気が、わずかに“熱”を帯び始めた。

試合開始からまだ10分と経っていない。

だが、観客はすでにこの試合が普通ではないことを感じ取っていた。

テイラー・リバースがサーブ位置に立つ。

一度、大きく深呼吸をしたあと、顔を上げる。

目を見開き、観客席に向かってラケットを掲げた。

——それは、「まだ終わっていない」と言わんばかりのジェスチャーだった。

そして、

場内が一気に**“感情のボルテージ”**を上げる。

「Let’s go Taylor!」

「Break him down!!」

拍手、歓声、太鼓のような手拍子。

それらは、まるで火を焚きつけるようなリズムで空間を支配していく。

1ポイント目。

テイラーのサーブはセンターへ。

鋭く、速く、思いきりの良い一球。

観客が一斉に立ち上がろうとする。

——だが、

九条のリターンは、それすら「処理対象」として処理された。

コンパクトなスイング。

直線的なカウンター。

コートの奥へ一直線に突き刺さる。

——0–15

テイラーの呼吸が荒くなる。

だが、彼はすぐにボールを拾い、構え直した。

2ポイント目。

「Fight!!」

「今だ、攻めろ!!」

——声が、テイラーを押す。

体が前のめりになる。

だがその力みが、ほんのわずかにバランスを崩した。

ワイドへのサーブ、ラインを越える。

フォルト。

セカンド。

慎重にセンターへ入れたサーブを、

九条はまったく同じフォームで打ち返した。

リターンは低く、速く、ネットすれすれ。

テイラー、すくい上げようとしてネット。

——0–30

観客が、ややざわつきはじめる。

“なぜ、何も起きない?”

“なぜ、あの男は変わらない?”

3ポイント目。

テイラーはラケットを構えながら、観客席を見た。

応援に、目で応えた。

笑顔を作ろうとした。

だが、手のひらが汗で滑った。

——その瞬間。

九条の視線が、ほんのわずかだけ動いた。

気配を感じ取ったわけではない。

“揺れ”を検出したのだ。

サーブ。

リターン。

そして、ドロップ気味のボール。

テイラー、前に出る。

だが読まれていた。

九条のパッシングショットが、正確にクロスへ。

——0–40

観客席、騒然。

応援が、拍手が、「戸惑い」に変わっていく。

ゲームポイント。

テイラー、今度は何も言わず、目を閉じてトスを上げた。

センターへのフラット。

だが、またしても完璧なリターンが飛んでくる。

テイラー、走る。

回り込む。

打ち込む——

だが、アウト。

Game Kujo. 0–3

人間がテンションで押してくるほど、

彼の処理速度は加速する。

それは、温度差ではなかった。

次元の違いだった。

【第4ゲーム】会場が熱を持ち始めた

0–3。

それでも、会場のテンションは落ちなかった。

むしろ、「負けているからこそ燃える」

——そんな空気が、ジョン・ケイン・アリーナの隅々にまで染み渡っていた。

観客席でビールの缶が開く音。

遠くから響く掛け声。

明らかに、“テニスの礼儀”とはかけ離れた音の波が広がっていく。

だが、それがこのコートの“色”だった。

九条がベースラインに立つ。

打球前のルーティンは、変わらない。

タオルも取らない。

汗もぬぐわない。

ただ、サーブのトス角と影の動きを確認するだけ。

1ポイント目。

センターへのサーブ。

エース。

静かな処理。

——15–0

観客の一部がざわめく。

「エースかよ」「速すぎる」

笑い声と混乱が混じり始める。

2ポイント目。

今度はワイド。

テイラー、かろうじて触れる。

ボールはネット際を跳ねるが、九条が冷静に前に出て叩き込む。

——30–0

歓声の中に、「がんばれテイラー!」という子どもの声が混じる。

だがその優しい声すら、

九条の“処理域”の外にある音だった。

3ポイント目。

少しだけ、タイミングが遅れた。

トスがわずかに乱れる。

その瞬間、観客の誰かが「ミスれ!」と叫ぶ。

——だが九条は、ほんの0.1秒だけ間を置き、

新しいトスを上げてサーブ。

それはまるで、中断ではなく、計画された動作のようだった。

そして、リターンを浅くさせて、コート際へと仕留める。

——40–0

拍手は起きた。

しかし、それは“賞賛”というよりも、

**「これはもう、どうしようもない」**という諦念に近い音だった。

ゲームポイント。

会場の湿度が、わずかに上がっている。

熱気が逃げない。

それでも九条は一歩も汗を流さず、

ただ音と光の中で、完璧な演算を実行し続けていた。

最後のサーブ。

スピンを効かせた鋭角なボールが、

まるで空間をねじ曲げるように沈む。

Game Kujo. 0–4

声援が熱を持っても、

九条雅臣の「動き」は一切変わらない。

観客が汗をかくほど熱くなっても、

彼の体温は、一定のままだった。

【第5ゲーム】“人間らしさ”の一点

0–4。

会場は、すでに“敗北”の気配を感じ始めていた。

——それでも、声は消えなかった。

「You can still turn this around!」

「Let’s go, Taylor!!」

テイラー・リバースは、ラケットを強く握りしめたままサーブ位置に立つ。

唇を噛みしめて、観客席を一度だけ見上げる。

その目には、**負けたくないという“感情”**が、確かに宿っていた。

1ポイント目。

サーブはセンターへ。

やや浅いが、回転がかかっていた。

九条、リターンのフォームに入る。

だが——

ボールが、イレギュラーに弾んだ。

ほんのわずか。

0.5度、打点がズレた。

ラケットの芯を外れた打球は、ラインを越える。

——15–0

歓声が上がる。

ひときわ大きな拍手。

ただの1ポイント。

それでも、会場は沸いた。

2ポイント目。

テイラー、さらに声を張る。

「Come on!!」

自分を鼓舞し、サーブを打つ。

今度はワイドへ。

角度も精度も、ギリギリだった。

九条、反応するも届かない。

——30–0

観客が跳ねるように立ち上がる。

手拍子、叫び声、ハイタッチ。

それは“応援”ではなかった。

「人間らしさ」を取り戻すための儀式だった。

3ポイント目。

センターへ強打。

九条、リターン。

テイラー、前に出る。

ネットプレー。

ボールは短く沈む。

——九条、追いきれず。

——40–0

誰かが叫んだ。

“YES! That’s tennis!”

観客が一斉に立ち上がる。

スタンド全体が揺れる。

「Let’s go Taylor!!」

「One game! One game!」

ゲームポイント。

——そして、テイラーが笑った。

それは、勝利の笑みではない。

ただ、「まだ終わってない」と信じる人間の表情だった。

最後のサーブ。

力強くセンターへ。

リターンは浅い。

テイラー、思いきり叩き込む。

Game Rivers. 1–4

ジョン・ケイン・アリーナに、

この日いちばんの歓声が巻き起こった。

彼は、1ゲームを取っただけ。

だがその一点は、

「人間が持つ、唯一の反撃手段」だった。

#チーム九条 / オーストラリア2025
早瀬 7:22 PM
今の1ゲーム、感情値だけで取った感じですね。
九条さんは特に変化なし。
レオン 7:22 PM
でも心拍、九条だけ直線。
たぶんあのゲーム、ログにも“乱れ”として出ない。
※Slackはスマートグラス経由の音声入力で送信されています。

【第6ゲーム】ノイズを切り離す演算

1–4。

会場が“喜び”に包まれる中——

九条雅臣は、すでにサーブ位置に立っていた。

目線はネット。

その奥にある観客席を、まるで「存在していないかのように」通り過ぎていた。

1ポイント目。

トス。

打点。

スイング。

動作に、音がなかった。

ワイドへのスライスサーブ。

テイラーが追いつく。

が、ラケットの先。

ボールはネットを越えない。

——15–0

「テイラー、気にするな!次だ!」

観客席から飛ぶ声援に、彼は軽く頷く。

だがその横で、九条はすでに次のトスに入っていた。

2ポイント目。

センターへ。

鋭い角度。

ギリギリのライン。

テイラー、届かない。

拍手は起こる。

だが、会場の空気が“冷やされていく”のを誰もが感じていた。

——30–0

誰かが言った。

「さっきのは……偶然だったかもな」

3ポイント目。

テイラーのリターンが深く返る。

だが、九条は一歩下がって整える。

打点をわずかに調整し、

フォアの逆クロス。

コートの隅に沈む。

——40–0

再び、観客が息を飲む。

先ほどの喧騒とは対照的に、

拍手もまばらになっていた。

まるで、“希望”のような音が、

この選手には通用しないことを理解したかのように。

ゲームポイント。

マーガレット・コート・アリーナとは違う、

ジョン・ケイン・アリーナの“群衆”の圧。

——だが、九条には届かない。

トスを上げる。

フォームは変わらない。

打球音だけが、静寂に響いた。

相手は反応。

しかし、わずかに振り遅れる。

返球はアウト。

Game Kujo. 1–5

九条の歩幅は変わらない。

目線も、速度も、表情も変わらない。

歓声のボリュームがどうであろうと、

彼の中の“処理”には、一切の干渉を許していなかった。

【第7ゲーム】応援と祈りの混線

ジョン・ケイン・アリーナ。

この夜、観客席はまだ“希望”を諦めていなかった。

“Stay with it, Taylor!”

「諦めんなよ、テイラー!」

“You’ve got the power! You can break him!”

「パワーはお前の方だ!やれるって!」

そんな声が、重なって響く。

——それはもう、応援というより祈りのような声だった。

1ポイント目。

テイラーのサーブ。

センターに真っすぐ打ち込む。

——良い入りだった。

だが、九条はそれを**“最初からそこだと知っていた”**かのように構えていた。

リターンは一直線。

ベースライン手前に突き刺さる。

——0–15

“Shit… come on, just one!”

「くそっ……たのむ、せめて一本!」

観客のひとりがぼそっと漏らす。

もはや、空気には焦りが滲んでいた。

2ポイント目。

ワイドを狙ったサーブ。

やや甘い。

九条、前に出る。

リターンは角度を抑えて、“置く”ようなショートアングル。

テイラー、走る。

追いつかない。

——0–30

“What the hell is this guy?”

「なんなんだよ、あいつ……」

最前列の観客が、呆れとも驚きともつかない声を漏らす。

——それでも、拍手は鳴る。

まだ希望を手放せない者たちの、無理やりな拍手だった。

3ポイント目。

テイラーは深く息を吸ってから、最後の集中を絞り出す。

そして、叫ぶようにサーブを打った。

“Take this!”

「これでどうだ!」

サーブは鋭かった。

九条も一瞬だけ体を傾ける。

リターンは浅い。

テイラー、前へ。

叩き込む。

——入った。

観客が立ち上がる。

——15–30

“YES!! That’s how you do it!”

「よっしゃ!! そうだ、それでいい!」

地鳴りのような歓声。

ようやく割り込めた“人間の1点”。

だが、

九条は、何一つ変わらなかった。

淡々と構え、次のサーブを待つだけだった。

4ポイント目。

テイラー、またしても叫ぶ。

“Let’s gooo!!”

——サーブはセンター。

リターン、綺麗に入った。

だが九条の足が、まるで“読み込まれていたコード”のように動く。

一歩で構えを取り、

逆クロスへ放つ。

テイラー、対応できず。

——15–40

ブレイクポイント。

沈黙が、観客の中に混じり始める。

5ポイント目。

テイラーは叫ばない。

静かに、ただサーブを打つ。

それでも、

九条は、容赦なかった。

ショートリターン。

テイラー、届かない。

Game Kujo. 2–5

「応援」と「祈り」は、混ざっていた。

だがそのどちらも、“届かない場所”があることを、観客は知り始めていた。

【第8ゲーム】声の壁、その向こうへ

#チーム九条 / オーストラリア2025
氷川 7:33 PM
会場の空気、変わりましたね。
たぶん観客、もう“祈って”ない。
蓮見 7:34 PM
でも、拍手はちゃんと“感謝”だった。
今日のはそういうセット。
※Slackはスマートグラス経由の音声入力で送信されています。

“Kujo to serve. Set point.”

コールが響いた瞬間、

ジョン・ケイン・アリーナの空気が変わった。

観客たちは、声を上げることに必死だった。

“Push him back!”

「押し返せ!」

“Don’t let him close this!”

「終わらせんなよ!」

“It’s not over yet!”

「まだ終わってねぇ!」

——だがそのどれもが、

彼の“内部演算”には干渉しない。

1ポイント目。

九条、静かに構える。

まばたきの間隔すら乱れがない。

打点、高い。

センターへフラット。

テイラー、反応は早い。

が、打球はミートしきれずにネット。

——15–0

“Next one! You got it!”

「次、いけるって!」

必死な声。

祈りに近い声。

だが、彼はトスを上げる。

2ポイント目。

フォームは変わらない。

ワイドへ逃げていく回転サーブ。

テイラー、滑り込む。

なんとか返球。

浅い球。

九条、一歩前へ。

淡々と、フォアで沈める。

——30–0

コートにあるのは、

“人間の鼓動”と“機械の演算”の乖離だった。

3ポイント目。

テイラーのラケットを握る手が、少しだけ震えていた。

——観客の叫びが、彼の焦りと結びついてしまう。

“Come on, just one point!”

「たのむ、一本だけでも!」

サーブは甘くなった。

九条のリターンが突き刺さる。

——40–0

セットポイント。

観客の中に、一瞬の沈黙が走る。

その静けさが、

“希望が遠ざかっている”ことを教えてくれる。

最後のポイント。

トスは高く、

打点もぶれない。

センターラインへ、

まっすぐに放たれたサーブ。

テイラーは動けなかった。

球が通り過ぎたとき、

彼の足はようやく動いた。

だが、遅い。

——Game and first set, Kujo. 6–2

歓声はあった。

拍手もあった。

でもそれは、

「応援」ではなかった。

それは、“認めざるを得なかった者たちの、静かな称賛”だった。

声の壁の向こうにいた者。

その姿に、感情を持たないはずの観客が、

ほんの少しだけ、心を動かされていた。

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