Intermission – Set 1 終了後
Margaret Court Arena / Day Match
観客席に、ようやく“ざわめき”が戻ってきた。
今、目の前で起きたものが「現実」だと、脳が追いつきはじめた反応だった。
相手選手は、ベンチに腰を下ろすと同時に、タオルで顔を覆う。
呼吸が浅い。
汗ではなく、表情の中に浮かぶ“困惑”が止まらない。
彼にとってのこの20分は、**「何もできなかった時間」**だった。
コートの反対側。
九条雅臣は、水も飲まず、タオルにも触れず、
ただ、1本目のラケットを——
張り詰めたガットの中央を、静かに指で撫でていた。
まるで、次の処理を呼び出す“起動キー”のように。
【第1ゲーム】“無音処理” / Silent Execution
Australian Open 2025 / Round 2 – Margaret Court Arena
マーガレット・コート・アリーナには、午後の陽がその角度を少しだけ変えて差し込んでいた。
観客の多くは、まだ“第1セットの答え”を理解しきれずにいる。
だが、九条にとっては、もう「前の処理」だ。
新しいセット、新しい演算。
淡々と、冷静に、再起動は不要だった。
ベースラインに立つその姿に、一分の揺らぎもない。
1本目。
センターへ。
迷いのないフォームから、正確に撃ち出されたフラットサーブ。
相手は少し早めに反応するが、ボールは手前で“伸び”、タイミングを外す。
リターンはネット。
15–0。
2本目。
今度はスライスを強めにかけて、ワイドへ。
外に逃げる軌道に、相手が食いつこうとするも——
踏み出した足が、コートに引っかかる。
リターンはフレーム。
30–0。
3本目。
九条は、ボールを3つ受け取る。
いつものように、2つを後ろへ弾き、1球だけを選ぶ。
一拍、間を取る。
それすら“動作の内”——演算の一部。
スピンを抑えたナチュラルサーブをセンターへ。
相手はかろうじて届かせるも、返球は浮いた。
九条は、1歩前へ。
ラケットを無駄なく振り抜き、クロスへ叩き込んだ。
40–0。
4本目。
静かな呼吸とともに、構えを取る。
“感情”が見えない。
打ち出されたフラットは、沈黙の鋼鉄のような球速。
返球はわずかにラインを割った。
Game Kujo.
スコア:1–0(第2セット)
【第2ゲーム】“応答なし” / No Response
マーガレット・コート・アリーナに立つ相手は、
すでに「プレー」ではなく「誤差」に怯えていた。
1本目。
外へ逃がすスライスサーブ。
だが、九条はその球筋を“既知”としていた。
ライジングで正確に合わせたリターンは、クロスの深い位置に沈む。
相手は差し込まれ、無理な体勢で返すがネット。
0–15。
2本目。
観客席からは、静かな呼吸音だけが聞こえる。
相手は今度、強めのフラットを選択。
センターへ直線的に入るが——九条は、構えを崩さない。
ラケットを軽く添えた返球が、ネット上をすべるように飛び、
ベースラインへ“ピタリ”と止まる。
0–30。
“It’s like he’s not even trying to hit aces.”
(エース狙ってるようにすら見えないのに……)
3本目。
相手はサーブを入れる前から、視線を泳がせていた。
不自然な間のあと、打ち出されたスピンサーブ。
九条はまたもや動かず、
“打点”を読むだけで正確に反応する。
リターンはショートクロス。
走り出す前に、相手の足が止まった。
0–40。
4本目。
タオルで汗を拭う動作に、時間がかかる。
球をトスする手が、ほんの僅かに震える。
打ち出されたセカンドサーブ。
九条の動きに、音はない。
だが、目で見た者すべてが悟った。
“終わった”と。
リターンはストレートのライン上。
Game Kujo.
スコア:2–0(第2セット)
“第一転換” / First Transition
コートチェンジ。
マーガレット・コート・アリーナの午後には、まだ陽の光が残っている。
だが、観客席の空気は一変していた。
最初のゲームのざわめきはもうない。
かわりにあるのは——“受け止めきれない現実”への静かな混乱。
“Is this guy even human…?”
(こいつ、本当に人間か……?)
対戦相手は、タオルで顔を覆ったまま、しばらく動かない。
呼吸のリズムが整っていない。
コーチボックスを見上げる視線も定まらず、
膝がわずかに揺れている。
——それでも、九条雅臣は。
水も飲まず、座りもしない。
ベンチ横に立ったまま、静かにラケットのガットを撫で続けていた。
指先で張りを確かめるその動作は、
まるで“自動処理中”のようで——
セットチェンジのブザーが鳴る。
九条は、わずかに頷くだけでベースラインへ向かう。
目線の先には、すでに第2セットの演算空間が広がっていた。
対戦相手は、ベンチでタオルを握りしめたまま、何度も深呼吸を繰り返す。
——見られていないはずなのに、視線を感じる。
九条雅臣は、一度も目を合わせてこない。
にもかかわらず、まるで——自分の位置だけが“可視化”されているような感覚。
…Where the hell is he even looking?
(こっちを見てないのに……なぜ、いつもそこにいる)
立ち姿も、動きも、何もしていないのに“支配されている”ような静けさ。
タオルの奥、かすかに震える唇が言葉を結べない。
…This is what a top-ranked player feels like?
(逃げ道が、どこにもない)
【第3ゲーム】“エラー検出” / Fault Identified
午後の光が、マーガレット・コート・アリーナの屋根からほぼ真上に落ちる。
観客席の白いベンチには、光と影がくっきりと分かれていた。
だが——コートの上には影がなかった。
九条雅臣が、まるで“昼と夜”の境界すら曖昧にしてしまうかのように、そこに“在る”だけだった。
“He’s controlling everything… even the crowd.”
(コートの中だけじゃない……観客席すら支配されてる)
1本目。
対戦相手の呼吸が浅い。
サーブの前にバウンドさせたボールが、わずかに手から滑る。
——それすらも、九条は「見ていなかった」。
にもかかわらず、読み切っている。
打たれたサーブを、半歩だけ動いてリターン。
ストレートへと滑るような打球は、バウンドせずにサイドラインすれすれで沈む。
0–15。
“……He’s already there.”
(打つ前に、もうそこにいた)
2本目。
セカンドサーブを選ぶ。
打点がずれる。 わずかに前に出過ぎたインパクト。
ボールが浮く。
九条は、微動だにせずにリターン。
角度のないスライスが、ネット前に止まるように落ちた。
0–30。
あれ、完全に“座標ズレ”読み取ってる。
3本目。
観客席が再び沈黙に包まれる。
——「何かが起こる」ではなく、「すでに起きている」。
フラットサーブ。
だが、九条は打点を完全に読んでいた。
足を止めたまま、ラケットを水平にスライド。
ラインの内側、クロスへと滑るリターン。
0–40。
“How do you fight someone who doesn’t miss?”
(こんなやつ……どうやって戦うんだ)
4本目。
相手がトスを上げようとして、止まった。
観客が少しざわめく。
深呼吸。もう一度やり直す。
——だが、その「一度の間」が命取りだった。
サーブは弱く、九条の読み通りのスピン。
ステップイン。
打点が高い。
振り抜いたリターンは、ノータッチエースと同じ速度でストレートを貫いた。
——Game Kujo.
スコア:3–0(第2セット)
【第4ゲーム】“同期不全” / Desynchronization
スコア:3–0(Second Set)
マーガレット・コート・アリーナの屋根から差す光は、ほとんど動かないままだった。
だが、コート上では明らかに、“ひとつの流れ”が止まっていた。
——いや、“動いているのが九条だけ”とも言えた。
彼のサービスゲーム。
1本目。
ボールを3つ受け取り、2つを弾く。
残った1球を、指で一度だけ転がし、持ち替える。
深呼吸すらせずに、サーブ。
センターへ。フラット。
相手の足が止まる。反応が、一瞬遅れる。
15–0。
“He’s not serving to win—he’s just eliminating options.”
(勝つためじゃない。逃げ道を、ひとつずつ消してる)
2本目。
今度はワイドへ。
重いスピン。外へ逃げる軌道に、相手は追いつけない。
ラケットのフレームに当たった打球は、無様にサイドネットへ。
30–0。
3本目。
構えを取り直すことすらなく、九条は次の動作に移っていた。
スライス。
ネットすれすれ、低く沈むボール。
相手は前に出るも、わずかにタイミングがズレた。
ラケットに乗り切らなかったボールは、浅く浮き上がる。
——そこへ、九条が一歩前。
フォアで軽く叩いた打球は、ショートクロスに沈む。
40–0。
マーガレット・コート・アリーナの空気が、またひとつ“閉じる”。
4本目。
選んだボールを、指先で回転させながらラケットに乗せる。
——打つ。
センターへのスピードサーブ。
ラインぎりぎり。
反応できなかった相手は、サイドに身体を流したまま、戻れなかった。
Game Kujo.
スコア:4–0(第2セット)
“No aces, no outbursts… just precision.”
(エースも、派手さもない。ただ精密すぎるだけ)
“演算継続” / Operation Continues
セット間インタールード(4ゲーム終了後 / コートチェンジ)
マーガレット・コート・アリーナの空気が、再び静かに入れ替わる。
ゲームカウントはすでに「4–0」。
だが、まるで**“試合が終わっていないこと”**のほうが不思議に思える空気が、観客席全体に漂っていた。
コートチェンジの間も、対戦相手はただ無言でタオルを握る。
座っているはずなのに、足元の影が揺れていた。
一方、九条雅臣は水すら取らず、ベンチに背を向けたまま立ち尽くす。
視線の先はもう、次の演算空間だった。
【第5ゲーム】“削除命令” / Delete Command
マーガレット・コート・アリーナ。
午後の陽はわずかに翳り、風のない空気に観客の息づかいが重なる。
コートに立つ対戦相手の表情に、焦燥と疑念が混ざりはじめていた。
1本目。
センターへのサーブは、完璧なはずだった。
——だが、九条は一歩も動かない。
ライジングで合わせた打球は、逆クロスへ。
角度と高さを奪われた相手は、追いつけなかった。
15–0。
“I went full power… and he didn’t even blink.”
(全力だったのに……こいつ、まばたきすらしなかった)
2本目。
ワイドへの変化球。しかし、九条はまたも先読みしていた。
バウンド直後に捕らえた球は、ベースラインぎりぎりへ沈む。
30–0。
“Where is he even looking…?”
(こっちを見てないのに……なぜそこにいる)
3本目。
観客が静まり返る中、相手はボールを強く握りしめた。
その力みが、フォームの乱れを生む。
打点がずれたサーブを、九条は淡々と打ち返す。
打球はサイドラインの外を抜けるように滑り、相手は振り遅れる。
40–0。
“This isn’t tennis. It’s… execution.”
(これはもう、テニスじゃない……処刑だ)
4本目。
セカンドサーブ。
迷いを断ち切るように打ったボールは、ネットにかかる。
——Game Kujo.
スコア:5–0(Kujoリード)
“He’s turning the court into a program.”
(このコート、プログラムに変えられてる……)
【第6ゲーム】“端末オフライン” / Terminal Offline
スコア:5–0(Kujoリード)
九条のサービング・フォー・ザ・マッチ。
マーガレット・コート・アリーナに、風はない。
ただ“終わり”の気配だけが、静かに降りてきていた。
ベースラインに立つ九条。
ラケットを構える動きに、最初から最後まで、何ひとつ乱れはない。
1本目。
センターへ。フラット。
球は直線的に突き刺さり、相手は反応すらできない。
15–0。
“He’s not giving me… even a fragment of a chance.”
(チャンスの欠片すら、くれない……)
2本目。
ワイドへ流れるスピンサーブ。
相手は逆を突かれ、振り遅れたリターンはネット。
30–0。
“I don’t know what to aim for anymore.”
(もう、どこを狙えばいいのか分からない)
3本目。
九条はボールを見つめたまま、静かにサーブモーションに入る。
今度はバック側へ落ちるスライス。
リターンは浅く浮き、九条は無言で前に出る。
叩き込んだ球は、ショートクロス。
40–0。
マッチポイント。
“Just end it…”
(もう、終わらせてくれ……)
4本目。
九条は一歩も動かず、センターへ。
完璧なフラットサーブ。
音とともに、ボールはラインぎりぎりを貫いた。
リターンは——なかった。
Game, Set,
Match Kujo.
スコア:6–0, 6–0。
試合時間、38分。
会場の観客がようやく“今”を理解し始めた時には、
そのすべてが終わっていた。
“アルゴリズム微調整” / Minor Algorithm Tweak
マーガレット・コート・アリーナの午後。
観客席には、拍手の音が**“遅れて”**広がった。
一瞬、誰も動けなかった。
“Is it over…?”
(でも、彼……何も変わってない)
対戦相手は、ネットへ向かう足取りさえおぼつかない。
視線を落としたまま、タオルで顔を覆う。
言葉はない。拍手も、慰めも、そこには届いていない。
九条は、ベースラインを一歩も踏み出さず、ただラケットを見つめていた。
“No celebration…?”
(ガッツポーズも、笑顔もないの……?)
観客のリアクションまで止まってる。
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