【第1ゲーム】再起動不要 / Reboot Unnecessary
もう何も変える必要はなかった。
足元の角度も、握りの強さも、思考の順序すら。
再起動は、不要。
試合は続いている。
だが、演算はすでに終わっていた。
コートに立つ九条は、機械でも計算式でもなく、
“ただそこにある支配”のように見えた。
ワイドへのサーブ。
左利きの軌道が、相手のバランスをまた崩す。
続くラリーも、一切の力みがない。
スピードは十分だが、どこにも“余分”がない。
ポイントが積み上がるたび、観客の拍手は薄くなる。
それは感動の欠如ではなかった。
理解が追いつかなくなっていた。
スコア、1–0。
すべてが完了済み。
動いているのに、もう何も始まっていない感覚。
【第2ゲーム】ノイズ消失 / Noise Filtered
静かだった。
あまりにも静かだった。
声が出ないわけではない。
拍手が止まったわけでもない。
それなのに、音が、響いてこない。
相手の足音。
ボールを打つ音。
観客のざわめき。
すべてが、演算外のノイズとして処理されていた。
1ポイント目。
バック側の深いショットを、一歩も動かず処理。
2ポイント目。
相手の強打を受け流し、タイミングだけで抜く逆クロス。
そこに“読み”はなかった。
ただの結果。
淡々と、決まるべき球が決まり、
返るはずのない球が、やっぱり返らない。
雑音が消えたコートの中で、九条は“無言の支配”を続けていた。
スコア、2–0。
フィルターは完了。
外界の情報は、もう必要なかった。
【第3ゲーム】雑音干渉0.00 / Zero Ambient Disruption
——完璧な無音。
試合は、進行している。
打球音はしている。
踏み込む音も、スイングの風切りも、きちんとある。
だが、それらが“耳に入らない”のだ。
コートの中央に立つ九条雅臣は、
外界から一切の干渉を受けていない。
相手が攻めてこようとする。
動きに変化をつける。
角度をつけ、球種を変え、揺さぶりをかける。
だが——
全部、届かない。
1ポイント目、2ポイント目。
どれも、すでに演算済みの現象でしかなかった。
反応ではなく、“予定”。
カウンターではなく、“処理”。
観客は気づきはじめていた。
「これは勝負ではない」
「これは……演算結果の提示だ」
スコア、3–0。
雑音干渉、ゼロ。
世界のすべてが、九条の静寂に呑まれていた。
ノイズログ、完全沈黙中。
打球音しか拾ってません。
ここまでの発汗量、完全に計算内。
内臓温も理想値キープしてます。
筋緊張も下がってます。
“集中時の脱力”に完全に入ってます。
【第4ゲーム】外乱因子発生 / External Fluctuation
予定になかった。
風でもない。
ノイズでもない。
ただ、どこかが微かにズレた。
1ポイント目、ネットイン。
予測できる軌道だったはずが、わずかに指先の感覚とズレる。
2ポイント目、相手のリターンがフレームショットでスピン変化。
軌道補正が間に合わず、アウト狙いの球がラインに落ちた。
これは、相手の戦術ではなかった。
たまたまの要素が、演算の“外”から侵入してくる。
——外乱因子発生。
一時的に、九条の視線が泳いだ。
ほんの0.1秒。
それでも、その“乱れ”は明確だった。
観客はざわめく。
相手も、その空白を逃さず攻め込む。
強打、強打、そして強打。
……球が抜けた。
クロスのラインギリギリ。
スコア、3–1。
外乱因子。
処理不能ではない。
だが確かに、それはシステムの想定外だった。
【第5ゲーム】再制御開始 / Re-Control Initiated
修正は、すでに始まっていた。
乱れが生じた瞬間から、
九条の中では**「再制御プログラム」**が静かに動き出していた。
焦りはない。
怒りもない。
ただ、誤差を収束させるための再演算。
1ポイント目、ラリーのテンポをあえて落とす。
相手のリズムに付き合うのではなく、“一段階下”へ引き込む。
2ポイント目、足のステップ数を調整。
1ストロークにかける時間を平均化。
“外乱因子”だった変則球にも、同じテンポで対応する。
——空間が戻ってきた。
観客は、明確に“空気が変わった”ことに気づく。
あの静けさが、再びコートを包みはじめていた。
最後のポイント、相手のフラットサーブを逆クロスで返す。
それは“カウンター”というより、あらかじめ決められていた配置のような打球だった。
スコア、4–1。
制御、再開。
ノイズは、もう再び入り込めない。
回避より、攻撃志向にシフトしてます。
踏み込みの角度、修正済み。
このままなら、給水も次で大丈夫かな。
【第6ゲーム】処理最適化 / Max Efficiency Achieved
動きに、もう何一つ無駄がなかった。
ラケットの振り抜き。
ステップの数。
姿勢の角度。
どれも、“最も少ない動きで最大の結果を出す”という最適解だった。
1ポイント目、相手のリターンをバックへ誘導。
追い詰めた先にクロスを置き、ほとんど身体を動かさずにポイントを取る。
2ポイント目は、サーブ&ボレー。
タイミングも距離感も、初期化済みの演算に従うだけ。
読みも反応も不要。
すべては“処理”で済んでいた。
対戦相手はまだ動いている。
球を追い、フットワークを使い、声も出す。
それでも、球は抜ける。
決まる。
観客の拍手は、どこか躊躇いがちだった。
試合が“完成”してしまったのを、誰もが理解していたから。
スコア、5–1。
演算効率、最大値到達。
この試合に必要な“計算”は、もう残っていなかった。
相手が打つ前に構えてる。
完了条件、すべて揃ってます。
このまま静かに、完了でいい。
【第7ゲーム】終了判定Ω / Termination Code Ω
試合の終わりは、始まりと同じくらい静かだった。
走らず、叫ばず、興奮もない。
ただ淡々と、“処理が終わるべき場所へ辿り着いただけ”。
1ポイント目、左ワイドへのスピンサーブ。
ノータッチ。
相手は動けなかった。
2ポイント目、ショートラリーの途中で角度を変え、
逆クロスのバックハンドで仕留める。
手首の返しだけで方向が決まる、あまりにも無駄のない一撃。
3ポイント目。
ラリーが続いた。
珍しく、10本を超えたやり取り。
だが、それは意地でも粘る相手の執念だった。
そして最後。
フォアの高めの打球。
九条は、一歩前に出てから、わずかに体を開いてスイング。
ボールは低く、速く、そして深く。
ベースラインぎりぎりに沈む。
歓声が上がる。
だが、それもまた“演算の外側”だった。
スコア、6–1。
終了判定:Ω。
処理完了。
全豪オープン3回戦、ここに制御終了。
終演処理 / Post-Execution Silence
こっち、異常なし。
ラスト5分、ノイズ0.00。
身体のどこにも、未処理がない。
控室 / After the Silence
白い壁と、低い天井。
通気音がわずかに響く静かな控室。
ドアが閉まる音だけが、場を区切った。
誰も声を出さない。
スタッフの足音も控えめで、
九条はタオルを手に取りながら、椅子に腰を下ろした。
蓮見が、さりげなく近づき、スマートフォンを差し出す。
言葉は交わさない。だが、それだけで伝わる空気がある。
九条は顔認証でロックを解除し、
一度だけ画面を開いた。
通知の数は少ない。だが、その中に――
日本時間「8:34」
ひとつの返信が届いていた。
本文は、開かれたかどうかさえ分からない。
だが、ほんの一瞬、画面に触れた指が止まる。
氷川は、壁にもたれたまま、それを目にした。
「勝った」という言葉は、誰の口からも出ない。
室内の空気は、まだ“演算”の続きにあった。
それでも、九条の中ではすでに処理は完了していた。
——別の場所からの返信とともに。
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