41.食事

宅配

エレベーターの方で音がした。

誰か上がってきた音。

さっきスタッフの人がケータリングを持って来てくれるって言ってた。

それだろうか。

九条さんは動かない。

普段からそういうものだから、何も反応しない。そんな感じ。

「見に行って来て良いですか?」

私の家じゃないのに、なんか私が対応するみたいになってる。

でもこの人たぶん言わないと動かない。

ほんとにロボットみたいだな。

九条さんは黙って頷いたように見えた。

見えた、というのは動きが小さ過ぎたから。

というか、手にコートを持ったままなことを今さら思い出した。

これ、どこにかけたら良いんだ。

彼の中にはオモテナシの言葉は存在しないらしい。

まあ、そういう人だろうな、とは思ってた。

入り口のところに、さっき会ったスタッフの人がいた。

テーブルの上に何か黒い箱のようなもの、隣は白い箱。どっちも布に包まれている。

シワひとつないスーツの背中。

私が見に行ったら、目が合った。

物を持って来た時に、出迎えされることが新鮮なんだ。

「ありがとう」なんて言われたこと無いんじゃないか。ただ黙ってそこに置いて去る。

それが当たり前。そういう日常。

「ありがとうございます」

私からありがとうを言うのも厚かましい気がしたけど、言わなければ、たぶんこのまま去ってしまう。

「これ、なんですか?」

どうして色が違うのか気になった。

だから話しかけた。

「魚と肉、内容を分けております。白が魚、黒が肉です。お好みでお選びください」

この人、シェフじゃないはずだけど、めちゃくちゃ親切な人だ。

私の為に用意された親切じゃないことは分かってる。

ただ、そういう気遣いをビジネスとして普段からやってるんだ。

誰からも労われず、当たり前として。

「どちらが九条さん用ですか?」

「お好きな方を先にどうぞ。どちらでも、召し上がらない可能性はありますので」

え、食べないの?

2つあるのに?

夜は食べないとか?いやまさかアスリートだし…。

せっかく温かい料理なのにな。

そんな事を考えながら黙って箱を見つめていたら、

「何かございましたら、控室におりますので」

そう言って彼はまたエレベーターの中へ消えて行った。

お伺い

聞いてみよ。

「九条さん。ご飯、持って来てくれたみたいなんですけど、お肉とお魚どっちが良いですか?」

家主は彼だ。

先に選ぶ権利は彼にある。

これもどっちでもいいとか言うんだろうか?

「肉」

顔も上げずに一言。

じゃあ私は魚にする。

たぶん、どっちでもすごく美味しいやつだ。

仕事終わりでお腹が空いてた。

食事を用意してもらえるのはありがたい。

「あと、コートどうしたら良いですか?かけるところがあるなら教えてください。それと、スリッパとかありますか?自分で取ります。場所だけ教えて」

彼にもてなしは期待しない。

でもそこらへん好きに開けられるのは嫌でしょ?それすら嫌じゃないのかな。

私は嫌だ、そういうの。

コートを持ったまま尋ねた私に、彼はようやく顔を上げた。

何も言わず、ソファ奥の壁を軽く指で示す。

コート掛けと、下にはスリッパが揃えてある。

きっと、私のサイズではない。でも、気にするなということなんだろう。

壁を軽く押したら扉が開いた。

クローゼットになってた。

ハンガーにコートをかけて、下に揃えてある黒いスリッパを履いた。

やっと少し落ち着けた気がした。

よし。

「ご飯、運びます。どこに運んだら良いですか?」

無言で「そこ」と視線だけ送る。

ちら、と覗いたら大きな8人がけのダイニングテーブルがあった。

あんな大きなテーブル家具屋さんでしか見た事ない。

玄関?リビング?なんで呼んで良いのか分からない空間から、2人分のご飯を運ぶ。

重さは大したことないんだけど、意外と見た目に反して重い。箱がしっかりしてる。

中に食べ物が入ってるし、多分繊細な料理だろうから、慎重に運んだ。

九条さんは、その様子を黙って見てた。普段からそういう生活をしてる人なのだ。

「ご飯、食べるんだったらこっち来てください。私は配膳まではやらないです」

私はあなたのお母さんじゃない。

自分が食べるものを運んで、セッティングしようとしてるだけ。

ついでに二箱運んでるだけ。

それ以上のことはやらない。

自分が食べる用意くらい自分でするべき。

私の言葉に反応して、九条さんは黙って立ち上がった。

ゆっくり歩いてくる。

一応反発せず言う事聞くってことはできるみたいだ。

ダイニングテーブルは、意外と木の天板だった。

やっぱり黒だったけど、天然木だから少し暖かみを感じた。

九条さんの性格からしてもっと人工物っぽいもので出来てるかと思ってた。

見た目で重そうなのが分かる板。

触るとサラサラしてるけど、微細な凹凸を感じる。木ならではの質感。

人工物では出せない。

でも、光はほとんど反射しない。艶がないマット素材。

車もそうだった。

彼は光を弾くことを好まない。吸収するものを好む。

ってことすら自覚無いんだろうな、たぶん。

2人で使うには大き過ぎる8人がけのテーブル。

彼はどこに座るつもりなんだろうな、と思ってたら、私が箱を置いたところの斜め前に陣取った。

すっごい離れたところに座るのかと思ってたから、意外だった。

顔が見える真正面じゃなく、斜め前。

会話が出来る距離感。

今の心の距離感だと、認識して良いんだろうか。

私が白い箱、彼が黒い箱。

それぞれ布を解いて中身を食べる為にセッティングする。

箱のデザインは物凄く上品だった。

アイボリーに近い白。和紙のような模様が入っている。触るとちょっとザラっとしてる。

細めの白の和紙紐が軽く結んであり、お品書きが添えてあった。紐は解くとすっと外れた。

お品書きの紙も、箱の中からも薄く、柚子の香りがする。

彼の方は墨のような深みのある黒だった。

木箱に見えたけど、表面が硬質な紙素材だった。たぶん爪を立てたら跡がつく。

細い黒のサテンリボンがついていて、結び目は無い。下で止められているだけだった。

まだ箱を閉じてるのに、スモークされたお肉の香りが箱の周りに漂っていた。

九条さんは黙ってどこかに行ったと思ったら、金属製のカトラリーを持って戻って来た。

和食に、金属のカトラリー?

……まあ、そういう人だよね。

誰がどう思うかより、自分に合うものを使う。

箸だとリズムが狂うのかもしれない。手に馴染むもの以外は、彼にとって「異物」なんだ。

同封されてるものは使わずに、ちゃんとしたのを当たり前のこととして使うらしい。

でも洗い物のことなんか微塵も考えてない顔だった。

絶対洗わないんだろうな。

私は、同封されてる使い捨てのもので充分だ。

誰かが洗ってくれるとしても、なるべく手間を増やしたくない。

捨てられるものでいい。

「開けてもいい?」

正直、もうお腹すいた。

早く食べたい。

九条さんはちょっと間を空けてから、視線だけでゆっくり頷いた。

首を動かすことすら最小限しかしたくないらしい。

試合してる時とは別の意味でロボットっぽい。

お品書き

お献立

🎋 お献立

【壱の段】前菜三種盛り

  • 菜の花の辛子和え
  • 鰆の西京焼き
  • 出汁巻き玉子

【弐の段】主菜と炊き合わせ

  • 金目鯛の煮付け(骨なし)
  • 蕪と筍の炊き合わせ

【参の段】御飯と椀物

  • 土鍋風 白御飯
  • 赤出汁(なめこ・豆腐)

※ ほんのり柚子香る一膳、心和らぐ夜に――

献立のお品書きをテーブルに置いて、箱を開けた。

瞬間、ふわっと湯気が立ち上り、柚子の香りが一層強くなった。でも不快じゃない、調整された香りと暖かさ。

三段のお重。

お品書きを見ながら中を確認する。

菜の花の辛子和えは緑と黄色のコントラストが綺麗。

鰆の西京焼き。白身魚に焦げ目がちょっと。艶があって美味しそう。

出汁巻き卵は火入れが完璧、黄色と白の層が美しく内側に巻かれていた。

「食べてもいい?」

九条さんはもう蓋を開けていた。

スモークされたお肉の香りが広がる。でも中身には全く興味を持たず、ただ必要な手順として開封している。

これから食事をするとは思えないほど、研ぎ澄まされたナイフみたいだった。

椅子に腰掛けようとして、ふと思い立った。

「………飲み物とか、ありますか?」

「水がある」

取ってきていいってことだろうか。九条さんはもてなす気はゼロなのはもう分かってるので、自分でキッチンカウンターの冷蔵庫まで行った。

もてなす気はないけど、自分でとる分には怒りもしない。

「九条さんも飲みますか?あとグラスどこですか?」

また、目で合図が来た。視線の先を辿ると、釣り棚にグラスがあった。

「……了解です」

もう勝手にグラスを二個と、冷蔵庫から水が入ったピッチャーを持っていく。

案外勝手に動いても怒らないだろうけど、人の家で好き勝手するのは嫌だ。私もそういうことされるの好きじゃないし。

テーブルの上にグラスを置いて、中に水を注いであげた。

「はい、どうぞ」

九条さんは礼も言わないどころか、グラスを見もしない。

わかってました、その反応。

だいぶこの九条雅臣という人物に慣れてきた。無害だけど、人によっては無茶苦茶腹が立つだろうな。

………いや、テニスプレーヤーじゃなかったら、社会で許されないと思う。

いただきます

気分を害しながら食事したくなかったので、何も言わずに椅子に座った。

「いただきます」

割り箸を持って、手を合わせた。

絶対美味しいよ、こんなの。

三段の重箱は、上段、中段、下段で入ってるものが違う。

三つともテーブルの上に広げてみた。

上から順番に食べるのかどうなのか分からないけど、下段に白ご飯が入ってるから、それを最後に食べるのはちょっと庶民としては…。

上品な懐石料理だとそういう順番で出てきたりするけど、あれなんでなのか分からない。

最後の方、お腹いっぱいになっちゃう。

お花見のお弁当みたいに広げて、色鮮やかな見た目を楽しみながら、気になるものから食べて行った。

🍱 澪の料理感想ログ(1月30日)

菜の花の辛子和え:シャキッとした歯ごたえと辛子の香りが、疲れた体にほどよくしみた。苦味も、今の自分にはちょうどいい。

鰆の西京焼き:味噌の甘みがしっかりしてるのに、後味は軽い。香ばしくて、口の中でほろっと崩れていくのが心地よかった。

出汁巻き玉子:ふわふわで、出汁が口の中にじゅわっと広がった瞬間、肩の力が抜けた。こういうのを求めてた。

金目鯛の煮付け:見た目通り、箸を入れたらすぐにほどける柔らかさ。優しい甘さが心まで染み込む感じ。

炊き合わせ(蕪・筍・人参):蕪はとろけて、筍は歯ごたえがあって、コントラストが良い。ほんのりした出汁の香りで、深呼吸できる味。

白ご飯:艶やかで粒が立ってる。噛むと甘い。空腹の体が勝手に「もっと食べろ」と言ってくる。

赤出汁(なめこ・豆腐・三つ葉):とろっとした口当たりと、山椒の香りが心地良い。胃が落ち着いていく感じがした。

―― 澪・個人メモより

ーーー気遣いが凄すぎる。

食べてる人はそんな気遣いなんて全く気にもせず、黙々と咀嚼している。

美味しいとか、思うんだろうか、この人。ただ栄養摂取のために口に入れて噛んでる、そんな感じ。

人にしてもらってる気遣いも、何も感じず当たり前のように享受して生きてるんじゃないだろうか。

料理はどれを食べても味が濃過ぎず上品で体に優しい味がした。出汁が効いてて、日本料理の良いところを詰め込んだようなケータリング。

……これ、九条さんが選んだんじゃないよね?

たぶんスタッフの人だ。

「九条さんのお品書きも見せてください」

紙を横に置いて見もしないから、見せてもらうことにした。

こういうの見るの好きだ。

黙って紙をテーブルの上で滑らせてくる。まるで契約書みたいだ。

お献立(九条 雅臣)

🥩 お献立(黒箱・洋風肉コース)

【Entrée|前菜盛り合わせ】

  • カリフラワーのムースとキャビア添え
  • トリュフ香るマッシュポテトとコンソメジュレ
  • ブロッコリーとアンチョビのフリット

【Plat|主菜】

  • 牛フィレ肉のロティ 赤ワインソース
  • 季節野菜のグラッセ(紫人参・黄ズッキーニ・ロマネスコ)

【Accompagnement|付け合わせ・パン】

  • 小さなブール(仏産天然酵母パン)
  • 発酵バター(エシレ)添え

※ ナイフを入れるたびに静けさが深まる、無音の晩餐に――

観察ログ – 九条さんの食事

📓 澪の観察ログ:九条さんと食事

箱を開ける手つきが機械的すぎて、これから“いただきます”をする人の所作には見えなかった。
中身の香りにも視線にも、特別な興味を示さない。見た目や香りを楽しむような素振りは皆無。
ただ、必要な動作として“食べる”という行為を遂行している。まるで、研ぎ澄まされた刃のように。
ナイフを入れる時も、無駄な音を一切出さない。肉の繊維を断ち切る音ですら、削ぎ落とされていた。
会話はしない。美味しいとも言わない。なのに、食べ残しもしない。必要な量を、無駄なく処理するだけ。
もしかすると彼にとって「食事」は、栄養補給というより、“ルーティンの一部”なのかもしれない。

※ この人、本当に“感じて”るのかな? それとも、感じるふりをやめただけ?

📌 **観察メモ:氷川 私的ログ** 綾瀬澪という女。 レジデンスに連れてくる時は戸惑いや恐怖が見えていたのに、 その場を離れて30分も経たずケータリングを届けたときには もう戸惑いも恐怖も消えていた。 好奇心さえ働かせていた。 俺にも臆さず「これなんですか?」と話しかけるだけの 落ち着きは取り戻したらしい。 九条と二人で何を話した? 最初から強気だったなら分かる。 怯えを見せていたのに、一時間もせずにここまで様子が変わる理由が分からない。 去勢を張っているでもない、粋がっているでもない。 ただ、通常の自分に戻した、という印象。
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URB製作室

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