【第1ゲーム】“無音継続” / Silent Continuation
セット間の心拍数、ほぼ変動なし。
……まだ“処理中”の顔してる。
Australian Open 2025 / Round 2 – Margaret Court Arena
第2セット終了後の“拍手”は、瞬間的に起きて、すぐに消えた。
熱狂ではなかった。空気の“巻き戻し”のようだった。
マーガレット・コート・アリーナに射し込む光はわずかに傾きはじめ、
午後の時間だけが淡々と進んでいた。
ベースラインに立つ九条雅臣は、水すら口にしていない。
ラケットを構えたときには、すでに次の処理が始まっていた。
1本目。
センターへ。スピンを抑えたフラット。
打球は相手のバック側へ。
反応はあったが、わずかに詰まった。
——ネット。
15–0。
2本目。
今度はスライス気味に、外側へ逃げるワイド。
球足は遅いのに、読めない。
——相手はタイミングを外され、フレームヒット。
30–0。
——処理が“プレー”と連動してる。
3本目。
九条は、リズムを変えない。
ボールを選び、ラケットの上で静かに転がす。
呼吸は“音にならない呼吸”。
センターへ。強めのフラット。
相手は完全に読みを外し、棒立ちのまま動けず。
40–0。
観客席にいた子どものひとりが、思わず言う。
“Is he… even trying?”
(あれ、本当に全力でやってるの?)
——4本目。
静かに構え、振りかぶる。
打球はラインぎりぎりへ。
リターンは……なかった。
Game Kujo.
スコア:1–0(第3セット)
【第2ゲーム】“残響抹消” / Echo Suppression
スコア:1–0(第3セット)
マーガレット・コート・アリーナには、まだ拍手の残り香すら漂っていなかった。
九条雅臣の歩みは、滑らかで無音。
ベースラインの位置までの移動ですら、「演算処理の一環」に見えた。
コート反対側の相手は、ラケットを両手で握り直しながら、深く息を吐く。
だがその呼吸すら、観客席の空気に飲み込まれていた。
1本目。
スピンサーブを選んだ相手。
だが、その球筋を九条はすでに“上書き”していた。
ステップすら挟まず、静かに打点へ入り込む。
リターンはクロスの深部、ギリギリの位置へ。
相手が追いついた時には、すでに打球が地を這っていた。
0–15。
2本目。
センターへのフラット。
球速はある。
だが、九条は一歩も引かず、体の軸も崩さず、構えたままリターン。
リストのわずかな操作で、ストレートに角度をつける。
打球がライン際に沈むと、観客席から、ようやく声が漏れた。
“He’s not even sweating…”
(汗ひとつかいてない……)
0–30。
打つ前に、制御されてるのと変わらない。
3本目。
相手のトスが、わずかに流れた。
そのズレを見逃すことなく、九条は前に出る。
強打せず、スライス気味に押し返すだけで——
球はネット際に“吸い寄せられる”ように沈む。
走った相手は、ボールが落ちたあとでようやく足を動かした。
0–40。
4本目。
深呼吸する。
それが“意味を持たない動作”に変わるほどには、状況が崩れていた。
打ち出されたサーブは、ワイドへ。
だが、それすらも——既に記録されている動作だった。
九条はステップイン。
ラケットを立ててボールを受け、
振り抜いたリターンは、コートの内側ギリギリに突き刺さった。
——Game Kujo.
スコア:2–0(第3セット)
【第3ゲーム】“自動制圧” / Autonomous Override
マーガレット・コート・アリーナの午後の陽光は、
わずかに角度を変えながらコートの影を動かし始めていた。
だが——九条雅臣の動きに、影すら追いつけない。
ステップイン。打点の調整。ラケットの角度。
どれもが「判断」ではなく、「出力」だった。
まるで、事前にすべて決まっていた処理フローをトレースしているだけ。
対戦相手は、ネットを挟んで存在してはいるが、
「競っている」わけではなかった。
……これ、ただの処理だな。
情報入って、出力されてるだけ。
観客席。
女性客のひとりが、スマホを落としかけた。
画面に視線を落とす一瞬の間に、ポイントが終わっていたのだ。
“Did he… already move?”
(もう……動いてた?)
別の客が席を立とうとするも、踏み出せなかった。
なぜなら、「試合が止まらない」ことに気づいてしまったから。
1本目。
相手のサーブは、センターへのフラット。
球速も悪くない。コースも読まれていない——はずだった。
だが九条は、バウンドの“前”に動いていた。
スプリットステップすら踏まず、リターンはストレートぎみに深く。
相手は届かず、ラケットを構える前にもうボールは通り過ぎていた。
0–15。
2本目。
サーブを打つ前、相手は顔を上げた。
コーチボックスを一瞬だけ見る——その目に、すでに“迷い”があった。
浮き上がるセカンドサーブ。
九条は角度をつけず、ただ正確にクロスへリターン。
スピンがほとんどかかっていないその打球は、
回転ではなく“演算”で曲がったように見えた。
0–30。
観客席の空気が、ふたたび沈黙に包まれる。
“He’s just… reading everything.”
(すべて……読まれてる)
3本目。
相手は少し強引にワイドを狙う。
打点がわずかに外れたのか、サーブは浅く入った。
九条のリターンは、ベースラインをなめるようなロブ。
反応した相手は追いつくが、返球が浅く浮いた。
九条は1歩前へ。
踏み込み、スピンのないフラットで叩き込む。
打球はクロスに突き刺さった。
0–40。
4本目。
呼吸音が、スタジアムに響いていた。
それは九条のものではない——観客の誰かの、息づかいだった。
サーブはネットすれすれ。
九条はそのわずかな“高さ”をも利用し、
ラケットを寝かせるようにしてショートクロス。
観客の誰一人、動けなかった。
Game Kujo.
スコア:3–0(第3セット)
【第4ゲーム】“演算誤差” / Computation Drift
マーガレット・コート・アリーナの午後。
観客席にわずかなざわめきが戻る。
とはいえ、まだ“言葉”になっていない。
ただ、静かな違和感だけが流れていた。
対戦相手がベースラインに立つ。
少し長めにタオルで汗を拭き、サーブの準備に入る。
1本目。
センターへのフラット。
今までなら、九条はライジングで正確に反応していた。
——が、その一歩が、今日は半歩遅かった。
打球は九条のラケットをかすめ、ネットへ。
観客席から、久々の拍手がこぼれる。
15–0。
2本目。
今度はワイドへ。
九条は追いかけず、角度の確認にとどめるような動き。
リターンは枠外へ。
そのフォームに、焦りも悔しさもない。
30–0。
“Wait… was that a real miss?”
(え、今の……本当にミス?)
3本目。
観客の数名が身を乗り出す。
相手はセンターへスピンサーブ。
九条は、読んでいた。が、リターンはラインをわずかに割った。
——40–0。
4本目。
緊張からか、相手のファーストはフォールト。
だがセカンドを丁寧に入れてきた。
九条は一歩踏み出すも、深追いせず。
ストロークは相手のフォアに引っ張られ、
次の打球をネットにかける。
Game Opponent.
スコア:3–1(第3セット)
——観客席に拍手が起きる。
ひとつゲームを取っただけ。
けれど、それが**“人間らしい時間”**に感じられた。
そして九条は、ベンチにすら戻らない。
ただ、静かに、ラケットを立てたまま、ガットを撫でる。
まるで「次は誤差なく処理する」とでも言いたげに。
【第5ゲーム】“即時訂正” / Instant Correction
マーガレット・コート・アリーナの午後。
風はない。陽光も変わらず。
だが、さっきの“1ゲーム”だけが、確かに異質だった。
けれどそれも、もう演算機の中では“修正済み”だった。
ベースラインに立つ九条雅臣は、
ルーティンに一分の乱れもなく、
再び処理を“最適化”していく。
1本目。
左手で選んだボールを一度転がし、
フラットサーブをセンターへ。
静かなフォーム、最短距離、沈黙の球速。
相手のリターンは伸びきらず、ネットに吸われた。
15–0。
“It’s like he’s erasing what just happened.”
(さっきの1ゲームを……なかったことにしてる)
2本目。
今度はワイドへ。強めのスライス。
相手は少し食いついたが、リターンは浅い。
九条は1歩踏み込み、ストレートへ。
完璧なタイミング。相手は反応すらできなかった。
30–0。
3本目。
九条はまたボールを3つ受け取り、
何の迷いもなく1つを選ぶ。
——同じ動作。だが、何かが違う。
正確すぎる“同一性”に、違和感が生まれる。
サーブはセンターへ。軽くスピンをかけて、
打点はやや高めに設定されたボール。
相手は触っただけで、ラインを大きく外す。
40–0。
#チーム九条 / オーストラリア2025
志水 11:50 AM
「今のは“帳消し”だな」
「1ゲームの誤差すら、完全に吸収した」
※Slackはスマートグラス経由の音声入力で送信されています。
4本目。
九条はラケットを構えたまま、まばたきもしない。
——終わらせにきている。
ワイドへ鋭く切れるサーブ。
音がした瞬間には、もうラインに沈んでいた。
相手は一歩も動けなかった。
Game Kujo.
スコア:4–1(第3セット)
【第6ゲーム】“処理再強制” / Reassert Command
マーガレット・コート・アリーナの午後は、なお穏やかだった。
わずかに翳りかけた陽光が、スタンドの上部を染めている。
——しかし、空気だけは明らかに変わっていた。
1ゲームだけ、相手に与えた“得点”。
観客も、チーム九条も、そして相手選手自身さえ、
まだその意味を測りかねていた。
コートに立つ九条雅臣は、変わらない所作でボールを受け取る。
右手で2球を後ろへ払い、残った1球を指で静かに転がした。
ラケットを握る左手に、余計な力はない。
1本目。
センターへ。フラット。
対角のラインぎりぎり。
相手はまったく反応できず、ラケットは空を切った。
15–0。
“He’s back on script.”
(……また台本通りの演技に戻った)
2本目。
今度は外へ逃げるスピンサーブ。
相手は追うが、タイミングが合わず、フレームに当たった打球はサイドネットへ。
30–0。
ベースラインからわずかに離れた位置で、九条は一拍置いた。
視線を落とし、ただ深く、静かに呼吸する。
その姿からは、“直前の1ゲーム”の影すら見えなかった。
3本目。
打球はスライス気味の変化球。
ネットすれすれを通り、低く沈む。
相手が前へ出ようとしたが、一歩が遅れる。
詰まった体勢の返球は浮き上がり、九条が即座に前へ。
——打点は胸の高さ。
左手でラケットを振り抜いた打球は、クロスへ鋭く突き刺さった。
40–0。
観客席の何人かが、ため息をついた。
先ほどの“1ゲーム”が、まるで錯覚だったかのように——。
4本目。
再びセンターへ。
精密すぎるフラット。
リターンは空を切り、音もなくネットへ落ちた。
——Game Kujo.
スコア:5–1(第3セット)
さっきのゲーム、なんだったんだ……。
……あの人の中では、処理のうちなんだろうな。
【第7ゲーム】“終了処理γ” / Final Protocol γ
マーガレット・コート・アリーナ。
観客席の空気は、もはや“試合”ではなかった。
ただ、処理の終端を見届ける空気だった。
ベースラインに立つ九条雅臣。
ラケットの位置も、足のスタンスも、完璧に“いつも通り”。
——つまり、“何も起きていない”。
1本目。
センターへのフラット。
スピードと軌道に、無駄な演出は一切ない。
しかし、それは逃げ道のない精度だった。
相手のリターンは、ネットへ。
15–0。
“There’s no emotion left. Just commands.”
(感情はもうない。ただ命令だけ)
2本目。
ワイドへ、スライスを効かせたサーブ。
相手は読めていた。だが、身体が追いつかない。
無理に伸ばしたラケットは、打球のスピンに押し負けた。
ボールはネット下に沈む。
30–0。
観客の誰もが、もう勝敗を問うていない。
残されたのは——「どのように終わるのか」だけ。
3本目。
九条は視線を落とし、わずかに呼吸を整える。
右手で選んだボールを指で一度だけ転がし、
左手に握ると、いつもよりわずかに遅いテンポで構えを取った。
その“遅れ”さえ、意図的であるかのように。
ナチュラルサーブ。
相手のバック側へ沈む、緩急を帯びた一球。
タイミングを崩された相手の返球は、甘く浮く。
九条は一歩前。
無言でスイング。
クロスへの決定打が、ベースライン際に突き刺さった。
40–0。マッチポイント。
スタンドの観客たちは、すでに拍手の準備すらしていない。
——ただ、“終了”を待っている。
4本目。
九条は、ボールをラケットのガットで軽く押し回した。
右手での操作は、あまりにも機械的。
それでも、不自然ではない。
それが彼にとっての“通常動作”。
——トス。
打点へ、迷いなくフラットを叩き込む。
真っすぐにセンターを貫いたサーブ。
相手のラケットは、出なかった。
スコア:6–1(第3セット)
試合時間:1時間6分。
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